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【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか

2020/02/16
 
【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

光と影を魔術師 巨匠レンブラント、オランダには比類すべき画家がいないとさえいわれたバロック期を代表する画家のひとりです。彼は亡くなる最期まで「自分の肖像画」を描いていたといいます。この記事では巨匠レンブラントの光と陰に隠された裏話、自画像をかき続けた理由を探っていきたいとおもいます。

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巨匠 レンブラントの波乱万丈な人生

まず自画像の謎に触れる前に、彼の波乱に満ちた人生をみていきたいとおもいます。

若き画家とて、成功をおさめる

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか (1629年 レンブラントが描いた自画像)

オランダの片田舎で「粉屋の息子」として生まれたレンブラント若くして画家として成功した彼の人気はすさまじく、肖像画と歴史がの注文が殺到するほどでした。さらに彼の人生はトントン拍子ですすんでいき

  • 弟子が多くあつまったので莫大な授業料がはいり、
  • さらに上流階級の娘と結婚して、
  • 花嫁の莫大な持参金と、上層の顧客を手に入れる

と、まさに若くして地位も名誉も手にすることができたのです。

 

大邸宅を購入し、世界中の珍品コレクターに

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか(『居酒屋の放蕩息子』サスキアとの自画像といわれる 1635年)

成功者になると、それにふさわしい邸宅が欲しくなるものなのでしょうか。レンブラントは手にしたお金で大邸宅を購入し、絵画や版画など世界中の珍品を収集買いあさるようになりました。「なんでもかんでもほしいインスピレーションを求めていたのか、世界のすべてを自分のものにしたかったのか。豪華な邸宅の2階はまたたくまに骨董品や、武器でいっぱいになりました。そんな彼の姿をみた妻サスキアの親戚には「花嫁の持参金を食いつぶす気か」といわれていたとか…

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全盛期のレンブラントが描いた、成功者の自画像

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか(レンブラントの肖像画(1640年))

そんな全盛期にレンブラントが描いた絵画がこちら「成功者の自画像です。

手すりに右手をやすめ、上半身を斜めに向けてこちらを威厳のある姿で見つめる男性。髪は丁寧にブラッシングされ、ヒゲも剃ってこざっぱりした顔。黒いベレー帽をかぶり、刺繍と毛皮のある洗練された洋服を堂々と着こなす。そこにあるのはたしかに「成功した男の自信に満ちた顔でした。

 

愛する妻サスキアの死と、絶頂期からの転落

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか(フローラとしてのサスキア 画:レンブラント1635年 ロンドン・ナショナルギャラリ所蔵)

たくさんの花が飾られた冠をかぶった、まるで女神のようなサスキア。レンブラントが愛したサスキアはいつの間にか、歴史画の主要人物になっていました。そんなレンブラントの人生は、最愛の妻 サスキアの死をきっかけに思わぬ方向へむかっていきます。でした。彼女が亡くなるとレンブラントは、

  • 乳母として雇っていた女性と不倫トラブルをおこし
  • あらたにやってきた家政婦と結婚しようとするが、また一悶着

プロテスタントの考えが根強いオランダでまさかの女性 (不倫) スキャンダル。レンブラントは、相手の女性とともに宗教裁判にかけられたのでした。 (詳細はこちら:【信念を貫き自己破産】巨匠レンブラントの光と影に潜むもの)

 

レンブラント、無念の自己破産

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか(事実上の後妻となったヘンドリッキェ 画:レンブラント1655年)

女性問題によりレンブラントの信用はだださがり… そんな中オランダは戦争でイギリスに負け、まるでリンクするかのように、絵画の注文はぱったりと途絶え、レンブラントはやむなく自己破産。豪邸も手に入れたコレクションも、愛したサスキアのお墓でさえも手放すことになります。

それでも生涯を通して彼は「自身の肖像画」を描きつづけました。最愛の妻が亡くなった時も、愛しい息子が亡くなった時も、お金も友人も全てを失った時も。次のパラグラフでは、彼が自画像にこだわりつづけた理由にせまっていきたいとおもいます。

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レンブラントは、なぜこんなに自画像を描いたのか

理由① いかに表情豊かに人間を描くか、芸術へのあくなき探求

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか (1628年に描かれたとされる、レンブラント22歳の自画像)

レンブラントは比較的裕福な家庭に生まれ育ちました。学業にも秀でており大学に進みますが、レンブラントは絵画とデッサンに夢中の青年時代をおくりました。みかねた父は大学を退学させ、絵の道に進むことを勧めます。レンブラントはライデン市内の画家スワーネルビュルフの元へ弟子入りしました。

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか(『テュルプ博士の解剖学講義』 画:レンブラント 1632年)

3年間の修行でレンブラントは、デッサンに解剖学、遠近法を瞬く間に習得します。人体の生々しさを目の当たりにする場面を描いたこちらの絵画は『テュルプ博士の解剖講義』。驚くそれぞれのひとの表情と光の当たり方がレンブラントらしいですね。「歴史画」に登場させる人々をいかに表情豊かなものにするか、絵に登場させる人物たちのデッサンの勉強としてレンブラントは、身の回りの人々、家族、とりわけ自分をモデルとして肖像画をたくさん描くようになりました

 

理由② 自分をモデルにすることが、いちばん手っ取り早かった

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか(帽子を被り眼を見開いたレンブラントの自画像、1630年 エッチング)

銅版画のエッチングで、素早く自分の顔をスケッチしたというレンブラント。自分をモデルにすることは何の束縛もなく、自由でありどんな表情でも試せるのが魅力でした。笑った顔におどけた顔、すました顔にいばり顔、怒った顔や泣き顔にしかめっ面。

鏡の前でいろんな顔をつくってはデッサンにしてそれを銅版画にしたといいます。そんな研究を続けるうちにたちまち師匠をも追い越してしまった…それがレンブラントでした。

 

理由③ そしてその自画像が売れた

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか(レンブラントの自画像 1630年)

レンブラントはエッチングであらたに人間の表情の研究をはじめ、とにもかくにも自画像を通して、自分の心理を表現することができるようになったのです。自信家であり野心家であり、天才の自負があったレンブラント。さらにその自画像が売れたものですから、レンブラントは自信をもって、自画像を多作するようになったのです。

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レンブラントの処女作と言われる『聖ステバノの殉教』1625

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか (『聖ステバノの殉教』1625年 画:レンブラント)

アムステルダムから戻った彼は実家にアトリエを構え、さっそく製作に乗り出し1625年には『聖ステバノの殉教] 』を完成させました。緻密で繊細な描写によって、登場人物の人間的感情を表現することに全力をかけていたレンブラント。研究の成果もあってか、個人の感情が伝わってくるようにひとりひとりの表情が細かく描かれています

彼の物語画におけるテーマは

  • 人間の感情をいかに表現するか
  • 光と陰のコントラストによって物語をいかにドラマチックにするか

でした彼は自画像を描くことによって、自分にできる表現を模索しつづけていたのでしょう。

 

晩年と最後の自画像

【巨匠レンブラント】はなぜ、あんなに多くの自画像を描いたのか(レンブラント 晩年の自画像 1658年)

晩年は最愛の人を次々と失っていき孤独にさいなまれたレンブラント、これは晩年の傑作であり「彼の自画像の中で、最も穏やかで最も壮大な作品」と評される作品です。それでも彼は自画像を描きつづけたといいます。豪華な衣装を見にまとい、左手にステッキをもって、ゆったりこしかけ前を見つめています。孤独を噛み締めながら、それでも彼は笑みを浮かべました

memoなぜこんなに愛する者たちが去っていくのか自身が醜く老いていくことも、ボロボロの服も気にならない。しかしどんなに苦しくとも、破産し全財産を失おうと、私は大画家なのだ。これからも世に絵を残さなくてはならない

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あとがきにかえて

最期まで絵画へ人間らしさをこめることを極め続け、ときに理解されなくても、その信念を貫き「自分のスタイル」を確立させたレンブラント。それぞれの絵にこめられた感情に思いをはせてみるのも、また楽しみ方のひとつかもしれません。 (そんな蜜も毒も味わい尽くしたレンブラントの人生についてはこちら: 【信念を貫き自己破産】巨匠レンブラントの光と影に潜むもの にまとめております )

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