【ロンドン塔に眠る凄惨な歴史】多くの高貴な人々が処刑された噂の古城

ロンドン塔と幽霊奇怪な場所

「美しいものには棘がある」とはよくいったもの。世界各地に残る古城はまるで貴婦人のように優美であったり、勇者のように堅牢で美しいフォルムをしていたりします。しかし、当主たちがそうであるか、はまた別の話。血みどろの歴史を含んでいるからこそ、古城は深みを増して凄みのある美しさを持っているのかもしれません。この記事では、あの暴君ヘンリー8世の妃アンブーリンをはじめ、数々の王や王妃、そして貴族が幽閉され処刑されたロンドン塔をご紹介します。

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いわくつきの城、ロンドン塔とは

ロンドン塔は、テムズ川北岸にある城砦で、元々は11世紀後半にウィリアム1世が築いた城でありました。イギリスを代表する観光名所であり、イギリス王室の居城のひとつでもあります。名称は「塔」といっても実際にはお城なのですが、ロンドン城とは呼ばれていません。

またロンドン等ほど数多くの塔を持つ白も珍しく、その数なんと21900年以上もの歴史を誇り、要塞や王城として使われた後、王族や政治犯を幽閉、処刑する監獄となりました。

ロンドンは、写真のような円筒形の塔が連なり、白であるホワイトタワーを囲む作りとなっています。円筒形の建物はそれぞれ名前があり、ここに数々の王族などが幽閉されていました。数々の処刑や死につながる幽閉など、15世紀以降は監獄として利用されてきたロンドン塔。そこには、権力争いの果てに投獄または処刑された王族や貴族の怨念がいまも渦巻いていると言われています。

ロンドン塔に関する禍々しい逸話

ロンドン塔が今日見るような外観となったのは、約14世紀。そして、血塗られたおぞましい歴史を刻んだのは、主に15世紀〜16世紀にかけての約200年間のことでありました。現在では観光名所として開放され、たくさんの観光客が訪れる有名な世界遺産となっていますが、近づくだけで気持ちが悪くなったり、身体に違和感を覚えるといった怪奇談はあとをたちません。

ロンドン塔と幽霊

城内の見学は、ぐるりとまわって約2時間ほど。ロンドンには城とよべるものは、11世紀には、1078年にウィリアムが築いたホワイトタワー (現在のロンドン塔の中心部)のみでありました。塔は石造の表面に白い石灰が塗られたため、「ホワイトタワー」と名付けられたといわれています。築城当初ロンドン市民の間では、この塔には龍の血が混ぜられているという噂が広まり、恐れられていました。

遠目にみると白い壁面に赤井まだら模様が見られたからです。実際は赤いレンガのかけらが、白い壁の石灰に混入していたからだったといわれていますが、城を近くで見ることすら叶わなかった市民にとっては、遠目にみた壁面の赤井まだらがまがまがしく見えたのかもしれません。

ロンドン塔がみたおぞましい惨劇

高貴なる人々の幽閉、塔に消えたエドワード兄弟

ポール・ドラローシュ『エドワード5世とリチャード兄弟』 (参考:【ロンドン塔の中に消えた王子たち】誰も知らないエドワード5世の行方)

そもそも築城当初からおどろおどろしい噂が囁かれたこの城では、その後、実際に凄惨な出来事が繰り返されることとなります。15世紀には、王位継承を巡る争いに勝利して王位を継承しながらも、戴冠式前に幽閉されたエドワード5世とその弟ヨーク公など、数々の処刑が行われました。

エドワード5世とリチャード兄弟

2人の子供の骨は1674年、タワーの階段再建中に発見されました。そしてチャールズ2世の命令により、これらは後にウェストミンスター寺院に移動され、エドワードとリチャードの名前が入った壺に入れられました

エドワード5世とリチャード兄弟

骨は1933年に再調査されましたが、その時点で骨格は不完全であり動物の骨も混ざっていたことがわかりました。これらの骨が王子のものであることは今も証明されておらず、ロンドン塔のその部分が再建される前に埋葬された可能性がありなお再調査の許可は拒絶され続けています。都合の悪い真実はいつだって葬られるもの、ロンドン塔に入ったあと王子たちがどうなったかは結局分からずじまいだったのでした。

絶対君主ヘンリー8世による処刑劇

ヘンリー八世(参考:【ヘンリー八世】絶対君主、6人もの妃を娶ったお騒がせのイングランド王)

おぞましい処刑劇は、ヘンリー8の時代にその頂点を迎えます。暴君と呼ばれたヘンリー8世は、生涯に6人の王妃を娶り、そのうちの2人、アン・ブーリンとキャサリン・ハワードを城内の中庭にある斬首台へと送りました。

ふたりの悲劇のはじまりは何であったのか。ある日アンが自分の部屋へ戻ると、自分の侍女であるジェーン・シーモアと王の情事を目撃してしまいます。逆上したアンは発作的に国王からもらった首飾りをちぎって床に叩きつけました。絶対君主であり非常に短気だったヘンリー8世は、王妃の自分に対する行為を許さず、たちまち王妃を捕らえて「塔」送りにしたのです。しかも罪状は、皮肉にも「姦通」の罪でありました。

アン・ブーリンは悲劇の王妃か、狡猾な魔女か(参考:【アンブーリンの生涯】彼女はなぜ王妃になり処刑されたのか)

塔から解放されるのは処刑の時のみ

アン・ブーリン小柄で華奢な彼女は泣き叫ぶことも逃げ惑うこともせず「私の首は地位シアですからね」と斬首人に笑いながら話しかけたといいます。

ちなみに通常処刑では斧が使われますが、彼女の場合は剣が使われました。これには「斧では切り損じるのでは」という彼女の囁きのせいであるという説や、不幸な結末を迎えることとなった王妃への慈悲で国王が剣を使わせたという説が有力となっています。斬首は成功し、幽霊となったアンが自分の首を手で抱えて、いまでもロンドン塔内を徘徊しているといわれています。

(参考:【アンブーリン、首なし幽霊の目撃談 】処刑された王妃の無念)

あとがきにかえて

その他、ロンドン塔ではヘンリー8世の廷臣たちも酷い最後を迎えています。

例えば、国王の最初の妃であったキャサリン・オブ・アラゴンとの離婚に同意をあたえなかった大法官のトマス・モアそして同じく王の宗教改革に意を唱えた80歳のフィッシャー司教までもが、国家反逆罪として「塔」のひとつであるベルタワーに幽閉され、処刑されました。

ちなみにヘンリー8に処刑されたもうひとりの王妃は、アン・ブーリンのいとこにあたるキャサリン・ハワード

国王は彼女より30歳も上でしたが、彼女は、奔放で享楽的だった歳のはなれた肥満体の王には魅力を感じられなかったのか、倫に走って国王の逆鱗に触れ、アンと同じ場所の斬首台で処刑されたのでした。ちなみに彼女の亡霊は、ロンドン塔でなく、逮捕されることとなった、ハンプトンコート宮殿の廊下に現れると言われています。

堅牢で恐ろしい牢獄として利用され、高貴なる人の最後を多く見届けてきたロンドン塔。それはその美しさに相違して、「血塗られた」という形容詞を冠せられ現在に至っているのでした。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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