【ジェーン・シーモア】唯一の男児エドワードを生んだヘンリー8世の寵姫

イギリスの歴史

ジェーン・シーモアは、ヘンリー8世の3番目の王妃。世継ぎを望む王に唯一の「男児」を捧げ、出産後すぐに亡くなった彼女は、ヘンリー8世とともに埋葬を許されたただ一人の王妃でした。この記事ではヘ王の寵姫であった、ジェーンシーモアの人生をみていきたいとおもいます。

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けして高くないジェーンの出自

ジェーンの父ジョンはヘンリー8世の腹心の部下で、8人の子供のうち長男エドワード、次男トマスと長女ジェーンの3人を宮廷に出仕させました。ジェーンは前妃のアン・ブーリンと、はとこであり、その出自は彼女よりも平民に近いと言われる身でした。

ジェーンは1532年、当時の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの侍女として仕え始めますが、王が再婚するに祭して、2人目の王妃アン・ブーリンの侍女となりました。

父ジョンが王の信任厚い寝室侍従だった関係から、1535年秋ヘンリー8世はイングランド西部巡幸の途中で、シーモア家の邸宅ウルフ・ホールを訪問します。その時に王の接待にでた、ジェーンの控えめで、もの静かな態度が王の関心をひいたといわれています。

兄弟による政治的戦略?

2番目の王妃アン・ブーリンが野心家だった実家の意向を受けて王妃の座を射止めた、といわれるように、シーモア兄弟もまた、妹のジェーンに同じ道を歩ませようと努力したことは多くの歴史家が認めています。

彼女の見た目はアンと正反対で、美女ではないものの、物静かで金髪、色白のジェーンはヘンリー8世を誘惑するに充分なものでした。ジェーンは物静かでヘンリーに言い返したことがなく、アンと違いカトリックだったといいます。

待望の男児が誕生するも

1536年にアン・ブーリンが処刑後されると、ジェーン・シーモアはわずか11日でヘンリー8世と結婚に至ります。そして、翌1537年には、早くも男子出産することに成功しました。これがヘンリー8世の後を継ぐことになるエドワード6世です。

しかし、難産で体力が回復しないジェーンは、洗礼式にも担架に乗せられたまま参加しました。その後も容体は悪化していき、10月24日深夜に宮殿で息を引き取りました。ようやく世継ぎを産んでくれた、愛しい王妃がまさかの逝去。

ヘンリー8世は深く、悲しみに打ちひしがれたそうです。男子を産んでくれたジェーンに感謝を込めて。王太子を産んだ3番目の妻ジェーン・シーモアへの愛着はつよく、ヘンリー8世は6人の中で唯一彼女だけは、同じ墓に埋葬することを希望しました。

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まとめ

息子の洗礼式を見届けてこの世を去ったジェーン・シーモア。彼女の息子エドワードは、はわずか9歳にして戴冠。息子の統治期間は長くはなかったものの、ジェーンは息子をこの世に誕生させることで、たしかにイングランドの歴史を変えたのでした。

ハンプトン・コート宮殿にはいまも彼女の幽霊が出るといわれており、特にエドワードの誕生日の10月12日にあらわれるそうです。(彼女が残した愛息子 エドワードの運命については【イギリス王宮の歴史】ヘンリー8世が残した、3人の子女たちにまとめております)

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