【モンテスパン夫人と黒魔術】闇に身を落としたルイ14世の元寵姫

フランスの歴史

モンテスパン夫人はルイ14世の心を虜にして、長い間いちばんの寵姫として宮廷を牛耳った女性です。由緒正しき貴族にうまれ才色兼備で妖艶な愛妾。さぞ幸運な女性だろうと思いきや、晩年は王の心を離さないために必死であり黒魔術を使用するほどでした。この記事では、魔に魂を売ったといわれた、モンテスパン夫人の裏の顔をみていきたいと思います。

この記事のポイント
  • 才色兼備で、辛辣なユーモアをあわせ持っていたモンテスパン夫人
  • ルイ14世の公式な愛妾となって好き放題ふるまうも、地位から転落
  • 最後は黒魔術にすがるも行いが明るみになり、修道院で侘しい最後を迎えた
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モンテスパン夫人とは

 (marquise de Montespan)

本名フランソワーズ通称モンテスパン侯爵夫人彼女は、17世紀のフランスで求められるものをほとんどすべて持っていました。プレジャーガーデン、サロン、退廃的な宴会が大好きな典型的なロココ族でありましたが、神話のように美しく鋭い機知を持ち、数多くの愛人のなかでも王の愛までも独占していたのです。それでもモンテスパン夫人は満足せず王妃の座をも求める狡猾な野心家でした。

しかし王妃の座にはすでに、スペインの王女マリー・テレーズがついていました。そして宮廷には美しい貴族の若い女性が次々とはいってくるのですから、王の心を手に入れても彼女の心が休まることはありませんでした。モンテスパン夫人の限りない欲望はつきることはなく、王の寵愛を受け続けるために幼子を犠牲にした儀式やカニバリズム(※)さえも厭わなかったといわれています。

(※) 食人、食人俗、人肉嗜食のこと

才色兼備な自信家

モンテスパン侯爵は、類稀なる運命の中にいました。彼女が生まれたのは、フランスの最も古い貴族のうちの2つ、モーテマーツ家とマルシラクス家が融合した由緒正しき一族です。彼女は美しく、辛辣なユーモアのセンスを持っていました。

Lisa Hilton著の『The Life of Louis 14’s MistressAthénays:The True Queen of France』によると、モンテスパン夫人おもしろく独創的で、誰も予想をしていないことをいう才能をもっていたといいます。しかし、彼女のいちばんの特徴といえば「自身が特別である」というあられもない自信を持っていたことでしょう。事実、モンテスパン夫人自信は、回想録にこう書き残しています。

私には平均的な知性よりも少し優れた何かがあるということ、つまり、趣味のある人たちの注意と共感を私に惹きつけたある種の特質があるということを、私はすぐに理解しました。もしそれに自由が与えられていたら、私の心は家族にも私自身にもふさわしい選択をしていたでしょう。

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夫を苔にして

夫モンテスパン侯爵は戦争で不在でしたが、2人の間には子供がいました夫が、妻と国王との関係を知ったのは数年後のことで2人の関係が深まることにひどく嫉妬しました。

この時期のフランスでは、王は事実上2人の妻を持つことが慣例となっていました。役割が若干異なっており、1人は政治家 (王妃)で、もう1人は社交の相手 (公式な愛人)です。これは宮廷において正式な官職でもありましたが、2人の関係に怒り狂ったのは、夫のモンテスパン侯爵でした。不貞をおかした妻のために見せしめで喪服を着るなど、彼は公然と国王に挑みましたが、その過剰すぎる振る舞いに一時に投獄され、自分の領地へ追放されてしまいました。

大きくなる態度

一方、国王ルイ14世はモンテスパン夫人のために専用の部屋をもうけました簡単に会えるように2人の部屋はつながっており個人用の入り口が設置されていたといいます。2人の間には7人の子供が生まれ、モンテスパン夫人の態度はますます大きくなっていきました。

宮廷内で女王のようにふるまい、「自分は他の女性とはちがい、特別なのだ」と権力を誇示するため効果な宝石やドレスを金に糸目をつけず注文しました。彼女の目に余る態度は、王妃をはじめとして宮廷の他の多くの人々の怒りを買い、宮廷内では敵が多くうまれました。

(Marquise de Maintenon)

夫人は子に殆ど興味を示さず自分への投資に夢中だったため、子供たちは養育係 (であり、のちに陛下の第二夫人となる) スカロン侯爵夫人の手で愛情細かに育てられました

最高地位からの転落

モンテスパン侯爵夫人は、ヴェルサイユ宮殿のカードゲームやダンスホールを牛耳りました。ルイ14世は「太陽王」でしたが、モンテスパン夫人にも独自の軌道がありました。侯爵の聖シモン公は彼女についてこう言い残しています。「宮廷の中心地となり、宮廷に喜びと繁栄をもたらし、大臣や将軍の希望と恐怖の源となった

しかし歴史をみても、この種の権力には必ず代償が伴います。のちのマリー・アントワネットがそうであったように、モンテスパン侯爵夫人の行動は敵の怒りをさらに増長させました。ある種、モンテスパン夫人はヴェルサイユにおいて、「快楽主義的で道徳的でないことすべて」の代表でもありました

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夫人のスキャンダル

それは圧倒的にカトリック教徒の多く不貞をよしとしない17世紀のフランスにおいて堕落・墜落を意味するような酷いものでした。宮廷の宗教的な観念では、王とその愛人の世俗的な愛情には冷ややかな目があてられました。実際レキュエル神父は「あなたはフランスを汚すのですか?その堕落した生活を見直しなさい」とモンテスパン夫人に忠告をいれています。

聖職者や廷臣たちの発言より夫人の言葉を信じてきた王ですが、致命的な出来事がおこります。モントスパン夫人の評判をどん底まで落としたのは、彼女が『ポイゾンズ事件』に関与していたのです。

魔女と黒魔術

当時宮廷で貴族の毒殺が相次いでおり大きな問題となっていました。モンテスパン夫人は、その主犯格であるマダム・キャサリン・モンボイシンと関係していることが発覚したのです。彼女はラ・ヴォワザンとも呼ばれ、パリで黒魔術や毒薬を横行させた人物です。魔女と呼ばれ中には彼女を魔女と呼ぶ人もいました、もっと具体的に言えば「パリの魔女」と。

彼女は宮廷で影響力を得ようと、愛の薬や毒をひそかにでっち上げ貴族たちに販売していました。彼女がターゲットとしたのは、主に男女の情事に (片思いや失恋) 悩む人々でした。モンテスパン夫人は事実を知らず「王の寵愛を取り戻すためにすがっていただけ」という説が有力ですが代償行為は酷いものでした。

火炙りにされた魔女

彼女はまた助産婦の役を務め、かくれて中絶などの医療行為を行っていました一方、ルイ14世の宮廷にいた人々は不可解な死を遂げており、検死ではまるで毒を盛られたかのように黒い腸が発見されていたのです。一向に止まないこの事件はヴェルサイユを恐怖に陥れ、王と家臣は大々的に調査を行っていました。結果として1677年から1682年までに319件の召喚状が発行され、194人が逮捕され36人が処刑されました。1679年、パリの魔女は裁判にかけられます王の当局が彼女の家を捜索したとき彼女の庭には幼児の骨が埋まっていたといいます。

裁判でラ・ヴォワサンは、モンテスパン夫人が宮廷での陰謀に関わっていることは否定しました。しかし魔女が火炙りになったあと、彼女の娘が「モンテスパン夫人は何か新しいことが起こり、王の好意が薄れていくのではないかと心配する度に母から助言を得ていた」と告白し夫人の行動が暴かれることになります。

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明るみになった行い

さらに女の娘は、

  • 黒魔術を司る者の話と関わり、
  • モンテスパン夫人が自分の身体を祭壇で悪魔にささげた話
  • 赤ん坊の血を飲んでいる話
  • さらには殺された幼児の遺体を王の食物に残して、彼を魅惑しようとした話

などありとあらゆることを証言しました。廷臣にとっては衝撃的なことでしたが、王自身は夫人が無実であると信じていたか、彼女の事件を自分の子供たちに屈辱的な思いをさせたくなかったかのどちらかで、これらの申し立てでの起訴は見送られました

モンテスパン夫人の最後

一時は我が物顔で宮殿を練り歩き王妃さえも馬鹿にした夫人ですが、地位も名誉も愛をも失い宮殿にもはや居場所はありませんでした。モンテスパン夫人は退役し、皮肉にも女子修道院に入りました。彼女は1707年、生涯を懺悔の中で過ごした後、66歳で亡くなりました

夫人が関わっていたとされる、黒ミサは、ローマ・カトリック教会に反発するサタン崇拝者の儀式神を冒涜することを旨とした儀式でカトリック教会のミサと正反対のことが行われました。中世ヨーロッパでは異教徒を批判する際に、彼らは「黒ミサの儀式を行い広めるから」として攻撃されてきた経緯もあります。

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まとめ

才色兼備で、辛辣なユーモアをあわせ持っていたモンテスパン夫人。ルイ14世の公式な愛妾となって好き放題ふるまうも、地位から転落最後は黒魔術にすがるも行いが明るみになり、修道院で侘しい最後を迎えることとなったのでした。

モンテスパン夫人に纏わる逸話は多くありますが、何世紀にも及ぶ曖昧な記録や伝聞により、真実を突き止めるのはもはや難しいといわれています。しかし1679年に黒ミサ事件が世を騒がせていたのは確かで、毒殺事件に関与したとして堕胎や媚薬の販売を行なっていた魔術師ラ・ヴォアザンが逮捕され、彼女のもとで「黒ミサ」と呼ばれる奇怪な儀式が行われていたことも事実です。

多くの貴族が彼女の顧客となり、その中にはモンテスパン侯爵夫人もおり、支配階級にも及ぶ大スキャンダルとなりました。豪華絢爛な宮廷において、覇者のとなりで「特別な人生」を送った女性、モンテスパン夫人。いちど寵愛をうけ、頂点にたつと人は元に戻れないのでしょうか。神父が忠告したとおり奢り昂った心根の話であり、魔術にすがってもすがらなくても、夫人の最後はもしかしたら同じものだったのかもしれません。

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