【王妃マリーテレーズ】ルイ14世を激怒させた、黒人小姓との隠し子騒動

フランスの歴史

ルイ14世の元へ嫁いだハプスブルク家の王女、マリー・テレーズ。豪華絢爛なフランス ヴェルサイユ宮殿に嫁ぐも、愛人だらけの夫に心穏やかではない日々を過ごしました。穏やかで信仰深い次王妃としられているマリーですが、実はいちどだけとんでもないスキャンダルを起こしていたといわれています。

なんと、黒人の小人ナボと不貞をはたらき、彼の子を産んでいたというです。この事実は当時徹底的に隠され明るみになったのは後世になってからでした。この記事では、王妃マリーの隠し子疑惑について迫っていきます。

この記事のポイント
  • ルイ14世が信頼を置いた、敬虔な王妃として知られているマリーテレーズ
  • しかし黒人小姓ナボとの不貞により、隠し子が存在したと言われている
  • 当該女性には王室が度々関与し、使いの者が送られ年金も授与されていた

 

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謎の黒人修道女「ルイーズ」

ルイーズ・マリー・テレーズ

王妃の隠し子として何年も議論が重ねられているのは、「モーレス・デ・モレ」としても知られる「ルイーズ・マリー・テレーズ」です。彼女はモレ修道院のフランス人ベネディクト修道女で、モレ-シュル・ロイングに住んでいました。

彼女の出自については、ルイ14世のもとで王室の随行員が何度も訪れていることから、色々な憶測が飛び交い大きくわけて3つの仮説が存在します。

  • 1つ目は王妃の非嫡出の娘だという説、
  • 2つ目はルイ14世と黒人女性との間に生まれた娘だとう説
  • 3つ目は王室に保護されている若い孤児だという説

です。文学的資料を除くと彼女に関する公文書(※)は1件しかなかく、なかでも有力なのはひとつめの『最初の王妃が不貞の末に授かった子供』という説でしょう。(※)1695年の年金特許

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秘密の子供

『モレの不幸』とも呼ばれたルイーズ王妃マリーの娘だという説が最も一般的になったのは、19世紀に論文だけでなく作家たちによって広く普及されたからでしょう。この説によると、「死産とされた王妃の娘マリー・アン」と、「黒人修道女ルイーズ」は同じ人物ということになります。

死産とされた王妃の出産

ルーヴルで3人目の子供となるマリーを出産しました。しかし彼女は生まれてすぐに亡くなり、翌月ルーブル礼拝堂で公開され遺体はサンドニ大聖堂に埋葬されていたのですが。

この『亡くなった王女』こそ、黒人の小姓ナボと王妃の子であるというのです。彼女は死んだことにされ、修道院へと送られていました(※小姓とは、その昔身分の高い人のそばに支えた少年のこと)

マリー・テレーズ・ドートリッシュ (ナボの子)

修道院へ送られて

これは葬式といっても「空の棺」であり、これは王妃の子供が黒人という不穏な事実を隠すためのパフォーマンスだったといわれています。王に最も近いものだけがこの事実を知っており、王がいちばん信頼する従事者アレクサンドル・ボンタンは、モレのノートルダム・デ・アンヘスのベネディクト修道院に子供を預けました

医師と女王の取り巻きたちはまさかの展開にあわてふためき、

王妃のチョコレートの過剰摂取ではないか

など無理やりこじつけを作り正当化しようとしましたが、肌の色こそが、「父親は黒人」であることを示していましたそしてその父親がマリー・テレーズの黒人小姓ナボであることも、周りの人々には想像がついていたのです。

ルイーズの生涯

ルイーズは、人生のほとんどをモレシュルロワンのベネディクト会修道院で過ごしました。フォンテーヌブロー城は、ルイ14世の宮廷が特に秋に狩猟のために頻繁に訪れていた場所です。フランス王室はルイーズに年金を支払い、さらに修道院にも色々なものが与えられていました。

彼女の生涯は殆ど知られていませんが、1697年王妃マリー・テレーズや皇太子たちが彼女を訪問した記録が残っています。それだけでなく歴史家のヴォルテールでさえ、1716年ルイーズに会うことを目的に修道院を訪れていたのですから、「王室と何らかの繋がりがあったことは間違いない」といされているのでした。

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まとめ

ルイ14世が信頼を置いた、敬虔な王妃として知られているマリー・テレーズしかし黒人小姓ナボとの不貞により、隠し子が存在したと言われています。実際、当該女性には王室が度々関与し、使いの者が送られ年金も授与されていたのでした。

自分を神格化して『陳は国家なり』を実現したルイ14世は、多くの愛人をもったことで知られており、愛妾モンテスパン夫人は王妃より多く王の子供を宿しました。多くの情事が絡みあい、毒殺事件も横行するなどこの時代のヴェルサイユ宮殿は、華やかにみえてとても荒れていた時代でもあったのです。

「ルイーズ」の出自については諸説ありますが、王妃マリー・テレーズがフランス宮廷で幸せではなかった故の結果だったのかもしれません。

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