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【チチェンイッツァに眠る暗黒な歴史】生贄の血を吸い続けた祭壇、怖く悲しい世界遺産

2021/10/06
 
チチェン・イッツァ
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歴史の中の人物像を徹底的に知りたがる世界史オタク。絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

世界遺産は観光客に湧き、華やかな場所が多いわけですが、多くの遺跡はその壮大さからは想像できない悲しい裏歴史を秘めています。メキシコにあるこちらもそのひとつ、の記事では、マヤ文明の中心地として、人気を博している古代遺産、チチェンイッツァに眠る暗黒の歴史をご紹介します。

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チチェン・イッツァとは

ティカル

チチェン・イッツァは、1988年に世界遺産に登録されたメキシコ南部のユカタン半島にあるマヤ文明の遺跡です。チチェン・イッツァとはマヤ語で「聖なる泉のほとりの水の魔法使い」という意味です。古典期を代表する「ティカル」などのマヤ中央部の諸都市は9世紀に崩壊、ほとんど無人状態となり後古典期には北部と南部高地に人口が集中しました。

チチェン・イッツァは北部マヤの中心地でありますが、その遺物は中央メキシコ(トルテカ)の強い影響を受けて、マヤとメキシコの混合した姿となっています。重厚感あふれる世界遺産ですが、ここは悲しい儀式が多々行われていた場所でもありました。

 

遺跡にまつわる凄惨な歴史

チチェン・イッツァ (カスティーヨ)

チチェン・イッツァはメキシコの南東部、ユカタン半島北部に栄えた古代都市で、6〜7世紀に映画を極めた旧チチェンと、10世紀以降の新チチェンの2つのエリアに別れています。旧エリアには天文台カラコルや宮殿の役割をしていた尼僧院など、古代マヤの高度な文明と平和を象徴するような建物があります。

しかしその一方で有名なカスティーヨと呼ばれる、翼蛇神クルカンのピラミッドがある新チチェンエリアには、トルテカ文明いの影響を受けた血生臭い歴史の跡が刻まれています。それは「戦士の神殿」や「チャックモール」、「ジャガーの神殿」、「ツォンパントリ」「競技場」など遺跡の壁や柱、内部のあちらこちらにも生々しい儀式の様子が描かれていることからも、いかに凄惨な歴史があったのかが想像できるほどです。

 

凄惨たる生贄の儀式

チチェン・イッツァ (戦士の神殿)

こちらはチチェン・イッツァの中にある『戦士の神殿』、ここでは生贄の儀式が行われていました。頂上の祭壇の入口に鎮座しているのが生贄台のチャックモールです。首を切られ心臓を抜かれた身体は、階段から落とされしたで待ち受けている人々に回収され、時には食べられることもあったといいます。

ここで行われていた儀式は身の毛もよだつものでした。生贄となった者は4人の神官におさえつけられ、衣服を剥ぎ取られて全身を真青に塗られ、祭壇に仰向けで寝かされました。

生贄

そして黒曜石のナイフで胸をあけて、心臓を抉り出されるのです。まだ温かくて脈打つ心臓を神に捧げ、息絶えた生贄の亡骸から生皮をはがして神官がまとい踊りを奉納するのでありました。

チャックモール (チチェン・イッツァ) (生贄の心臓が置かれた台座)

生贄となった者の心臓がおかれるのはチャックモールと呼ばれる、神殿の頂上にある像の手の上です。

チャックモールは戦士の象徴で、生贄などの供物を神へと運ぶ存在であり、像の上で人身御供の儀式も行われていました。ツォンパントリは頭蓋骨の台座とも呼ばれその生贄たちの生首が置かれた場所があり、数え気入れないほどの人間の頭のレリーフが彫られています。

ツォンパントリ (ツォンパントリ)

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遺跡にのこる儀式の爪痕

チチェン・イッツァの競技場

競技場では、勝者が殺されるという球技が行われていました。2つのチームにわかれ、ゴムを固めてボール状にした球体を腕や足でう撃ち合い、城内の内壁に嵌め込まれた右の輪に先にくぐらせたほうが勝者になるというルールでした。勝ったチームの選手たちが栄冠の証として首を切られ、シンボルとしてツォンパントリに生首をさらされるのでした。

競技場の内壁にはその一部始終を読み取ることのできるレリーフが残されています。手に生首をさげた選手や、片膝をついた選手の首が切り落とされ、首のつけ根からは血飛沫がほとばしる残虐なものも見られるといいます。

セノーテ (聖なる泉)

チチェン・イッツァには、セノーテという生贄の泉もあります。ここでは、純潔の美しい乙女を泉に沈めて生贄としていたという伝承があり、調査の結果、多くの人骨と貴金属が発見されています。

 

なぜ生贄として、多くの人が犠牲になったのか

なぜここまで残虐な方法で、多くの人々を「生贄」として犠牲にしなければならなかったのでしょうか。

古代マヤの人々は自然界すべてに神が宿ると信じていました。神官だけでなく庶民も神が宿ると信じ、神官だけでなく庶民も神に感謝し畏敬する儀式を行う習慣があったのです。

古来から伝わるマヤの神話には、太陽=神の世界が過去に四つあり、現在は五つ目の太陽の世界であるとされていました。そして神は不死ではなく、四つの太陽=神の世界が滅びたように、五つ目の太陽の世界になれば神も死して世界は滅びてしまうと考えていたのです。そのため太陽の出ない夜を恐れ、また再び太陽が登るように常に太陽である神に、その活力となる新鮮な血を捧げ続けなければならない、と信じていたのでした。

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あとがきにかえて

チチェン・イッツァ

余談ですが、旧チチェン時代の建物には惨たらしいレリーフが残されていないことから、こんな仮説をたてる研究者もいます

長年マヤ文明のケンキュとしてきたユカタン州・地方鵜博物館のペーター・シュミット館長によると、「マヤのすべては宇宙の法則に従っており、ピラミッドや建物などのこううどな技術は宇宙人に教えられたもの」だというのです。この一連の残虐な儀式はすべて、途方もなく優れた知識や技術を備えた宇宙人の再来を願ったものではないか、という仮説です。

競技場で行われていた競技はただのサッカーのようなスポーツではなく、競技場は宇宙全体を模したもので「ボール」は太陽であり、競技自体が宇宙の永遠を記念する重要な神事であったとされています。人々が流した血は宇宙を活性化させる最大の貢物だと考えられていた、というのがこの仮説の結論です。

しかしどちらにしても、この血生臭く惨い儀式は古代マヤ人の神聖な儀式であり、偉大なる神への崇拝のしるしだっといえるでしょう。チチェン・イッツァに残る祭壇は、数えきれないほどの血を吸い、今もそこに在り続けているのでした。

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参考文献

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