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【ラス・メニーナス】ベラスケスの胸に描かれた、赤い十字の謎

 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

現在マドリードのプラド美術館に収蔵されているラス・メニーナスは、ベラスケスの完成した作品群のハイライトとなっています。この絵が何世紀にもわたって人々を魅了し続けるのは、いったいなぜなのか、ベラスケスはこの絵を通して何を伝えようとしていたのかラス・メニーナスが象徴するものと、画家が残したメッセージについて考察していきます。

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多くの人を魅了する、名画「ラス・メニーナス」

(Las Meninas” by Diego Velázquez, 1656. (Public domain via Wikiart)

350年以上にわたって人々は『ラス・メニーナス』に魅了されてきましたディエゴ・ベラスケスによって描かれたこの複雑な油絵は、スペインのフィリップ4世国王の、宮廷生活をとても巧妙に表現しています。『レディーズ・イン・ウェイティング』 (Ladies in Waiting) と訳されるこのタイトルは、ベラスケス氏が、王族を象徴する堅苦しいフォーマルな肖像画から脱却した、美術史における転換点といわれています。大きなキャンバスには、王の娘であるマルガリータが侍女たちに囲まれ、イーゼルに描いた肖像画の後ろにベラスケスが立っています

 

宮廷画家、ディエゴ・ベラスケス

「イノセントXの肖像」、1650年頃(写真:ウィキペディア [パブリックドメイン])

この絵を描いたディエゴ・ベラスケスは、”スペインの芸術と文学の黄金時代”を代表する人物でした。スペインでのこの文化の発展は、スペインのハプスブルク王朝の繁栄と並行して起こっています。ハプスブルク家の台頭とスペイン帝国の拡大は、ベラスケスのような芸術家にとって喜ばしいニュースでした。

 

バロック時代に、スペイン独自のスタイルを確立

「青いドレスの王女」8歳の王女マルガリータ(1659)

当時イタリアやフランスではバロック絵画が流行しており、偉大な画家たちが活躍していました。しかし同時代にありながら、彼は自身のスタイルを確立したのです。セビリアに生まれたベラスケスの初期作品は、ボデゴン(静物画の一種で日本語では厨房画ともいわれる)が多く、

『マルメロの実、キャベツ、メロン、胡瓜』フアン・サンチェス・コターン 1602年

スペインに特有の日常生活、キッチンにある静物の要素を特色としています。

 

ベラスケスが描く絵の特色

(「東方三博士の礼拝」ベラスケス 1619年頃)

その後ベラスケスは、マドリッドに移り住みます。そして1623年国王フェリペ4世付の画家となり、生涯の大半を宮廷画家として、首都マドリッドで過ごしました

ベラスケスは被写体の物理的な姿を捉えることができ、服の質感や動きを表現するためのゆるやかな筆遣いも革命的でした。国王一家を始め、多くの宮廷人、知識人を描いた肖像画家としても有名です。

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一目見れば、だれもが絵の一部になる

(Las Meninas” by Diego Velázquez, 1656. (Public domain via Wikiart)

ラス・メニーナスの魅力はなんといっても”構図”です。見る人を、「王と女王」のポジションにおき、絵を見ている人が誰であろうと、この絵の一部になるようにできていますもちろん、この景色をみていたのは「フィリッペ4世」。このことを考慮しても、ラス・メニーナスは王にとって「キャラクターのコレクション」であったと言及する人もいます。また美術史家の中では、ベラスケスが”宮廷でいかに大切な存在か”を、誇示する手段だとする見方もあります。

 

ラス・メニーナスが描かれたとき

「ブラウンとシルバーのフィリップIV」、1631〜1632年頃。(写真:ウィキペディア)

ラス・メニーナスを描いた頃には、ベラスケスはすでにフィリップ4世の宮廷で30年以上働いていました。フィリップ4世の最初の妻と一人息子が亡くなったために、王の側にいたといいます。絵画が描かれた当時、フィリップ王はすでにオーストリアのマリアナと再婚していて、絵の中心に描かれているのが二人の子供、マルガリータ王女です。絵はフィリップ4世の依頼で、夏の宮殿にある彼の私室に掛けられました。1819年まで王宮にあり、その後はプラド美術館に収蔵されています。

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ベラスケスの胸に刻まれた、赤い十字の謎

長年謎とされてきたのは、ベラスケスの胸に描かれた「サンティアゴの騎士の赤十字」です。絵の完成後に書き加えられたとされるこの赤十字は誰が加えたのかならば、なんのために

説① フィリップ王が友人のために書き加えた

いちばん有力なのは「フィリップ王が、友人のために書き加えた」という説ですサンティアゴの騎士になることはベラスケスの野望であり、それはとても高貴な地位を意味しました何年もの間ベラスケスは”貴族”として認められることを試みましたが、主張を裏付けるために必要な書類を見つけることができず、サンティアゴ騎士団への入会が叶ったのは亡くなる前年、1659年のことでした。

説② 自らが満を辞して書き加えた

ほかにも、ベラスケスが死ぬ直前に友人のフィリップ王の助けを借りて「サンティアゴ騎士団へ入会すること」の正式な認証を受け、自画像に十字架を誇らしげに描いた、といった説もあります。しかしどちらにしても、真実を知るのは、中世に生き、王とベラスケスの周りにいた人だけです。

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あとがきにかえて

「レウキッポスの娘たちの略奪」(1616-1618年) ピーテル・パウル・ルーベンス

バロックとは、16世紀末〜18世紀なかばに流行した芸術スタイルです。人体の筋肉や動き、明暗を強調したドラマチックな画面が特徴で、どちらかというと装飾過剰なところもバロックの典型的な傾向です。フランダースの犬で知られ”王の画家であり、画家の王”といわれた「ピーテル・パウル・ルーベンス」もバロック時代の画家で、ベラスケスとも交流があったといわれています。400年以上経つ今でも人の心を動かし続ける「ラス・メニーナス」胸に刻まれた十字は誰が描いたにせよ、王とベラスケスの間の友情が形になったものであることには、変わりないのではないでしょうか。

ハプスブルク家シリーズの続編はこちら

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参考記事:

  • https://www.pen-online.jp/feature/art/rubens_antwerpen_01/
  • http://www.the-art-minute.com/the-maids-of-honor-a-visit-to-the-studio/
  • https://mymodernmet.com/diego-velazquez-las-meninas/
  • https://www.theguardian.com/culture/2003/aug/23/art

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