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【ベラスケスとラス・メニーナス】胸に描かれた赤い十字の謎

2020/05/20
 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

在マドリードのプラド美術館に収蔵されているラス・メニーナスは、ベラスケスの完成した作品群のハイライトとなっています。この絵が何世紀にもわたって人々を魅了し続けるのは、いったいなぜなのか、ベラスケスはこの絵を通して何を伝えようとしていたのか。この記事では、『ラス・メニーナスが象徴するものと、画家が残したメッセージ』について考察していきます。

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多くの人を魅了する、名画「ラス・メニーナス」

(ラス・メニーナス スペイン宮廷画家 ディエゴ・ベラスケス)

350年以上にわたって人々は『ラス・メニーナス』に魅了されてきました。ディエゴ・ベラスケスによって描かれたこの複雑な油絵は、スペイン国王フィリップ4世が治めていた、宮廷生活をとても巧妙に表現しています。

『レディーズ・イン・ウェイティング』と訳されるこのタイトルは、ベラスケス氏が、王族を象徴する堅苦しいフォーマルな肖像画から脱却した、美術史における転換点といわれています。大きなキャンバスには、王の娘であるマルガリータが侍女たちに囲まれ、イーゼルに描いた肖像画の後ろにベラスケスが立っています。

 

宮廷画家、ディエゴ・ベラスケス

「イノセントXの肖像」、1650年頃(写真:ウィキペディア [パブリックドメイン])

この絵を描いたディエゴ・ベラスケスは、『スペインの芸術と文学の黄金時代』を代表する人物でした。スペインでのこの文化の発展は、スペインのハプスブルク王朝の繁栄と並行していました。ハプスブルク家の台頭とスペイン帝国の拡大はベラスケスのような芸術家にとって喜ばしいニュースでもあったのです。

 

バロック時代に、スペイン独自のスタイルを確立

 (参考:怖い絵画【青いドレスの王女マルガリータが背負った 宮廷人の宿命】)

当時イタリアやフランスではバロック絵画が流行しており、偉大な画家たちが活躍していました。しかし同時代にありながら、彼は自身のスタイルを確立したのです。セビリアに生まれたベラスケスの初期作品は、ボデゴン(静物画の一種、厨房画ともいわれる) が多く

『マルメロの実、キャベツ、メロン、胡瓜』フアン・サンチェス・コターン 1602年

スペインに特有の日常生活、キッチンにある静物の要素を特色としています。

 

ベラスケスが描いた絵の特色

(「東方三博士の礼拝」ベラスケス 1619年頃)

その後ベラスケスは、マドリッドに移り住みます。そして1623年に、国王フェリペ4世付きの画家となり、生涯の大半を宮廷画家として、首都マドリッドで過ごしました

ベラスケスは被写体の物理的な姿を捉えることができ、服の質感や動きを表現するためのゆるやかな筆遣いも革命的でした。国王一家を始めとして多くの宮廷人、知識人を描いた肖像画家としても有名です。

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一目見れば、だれもが絵の一部になる『ラス・メニーナス』

(ラス・メニーナス スペイン宮廷画家 ディエゴ・ベラスケス)

ラス・メニーナスの魅力はなんといっても『構図』です。見る人を『王と女王』のポジションにおくことで、絵を見ている人でさえ、この絵の一部になるようにできているのです。もちろん、この景色をみていたのはスペイン国王フェリペ4世。このことを考慮しても、ラス・メニーナスは王にとってキャラクターのコレクションであったと言及する人もいます。また美術史家の中では、ベラスケスが宮廷でいかに大切な存在かを、誇示する手段だとする見方もあります。

 

ラス・メニーナスが描かれたとき

(フェリペ4世の肖像画)

ラス・メニーナスを描いた頃、ベラスケスはすでにフェリペ4世の宮廷で30年以上働いていました。国王と最初の妻、そして息子すらも亡くなってしまったために友人として国王の側にいた、ともいわれています。絵画が描かれた当時、王はすでにオーストリアのマリアナと再婚していて、絵の中心に描かれているのが二人の子供、マルガリータ王女です。(ちなみに一番下にいるのが世継ぎとなるカルロス)

スペインハプスブルク家 家系図 (カルロス2世) (引用元:スペインハプスブルク家 家系図)

絵はフェリペ4世の依頼で夏の宮殿にある、王の私室に掛けられました1819年まで王宮にありましたが、その後はプラド美術館に収蔵されています。

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ベラスケスの胸に刻まれた、赤い十字の謎

長年謎とされてきたのは、ベラスケスの胸に描かれた「サンティアゴの騎士の赤十字」です。絵の完成後に書き加えられたとされるこの赤十字ですが、いったいは誰が加えたのかなんのためにこれには2つの通説が存在します。

説① フィリップ王が友人のために書き加えた

いちばん有力なのは『フィリップ王が、友人のために書き加えた』という説です。

『サンティアゴの騎士』は高貴な地位を意味し、それはベラスケスの野望でもありました。何年もの間ベラスケスは”貴族”として認められることを試みましたが、主張を裏付けるために必要な書類を見つけることができず、サンティアゴ騎士団への入会が叶ったのは亡くなる前年 (1659年のこと)だったのです。

説② 自らが満を辞して書き加えた

(ラス・メニーナスに描きこまれた画家自身 ベラスケス)

もうひとつは、死の直前に自分で書き加えた説です。ラス・メニーナスを書き終えた時にはまだサンディエゴ騎士団への入会を認められていなかったベラスケス。しかし友人でもあるフェリペ4世の力を借りて、死ぬ直前にようやく『サンディエゴ騎士団』への入会が認められたベラスケスが、自画像に十字架を誇らしげに描いた、という説ですね。

しかしどちらにしても、いまや真実を知るのは中世に生き、王とベラスケスの周りにいた人だけです。

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あとがきにかえて

「レウキッポスの娘たちの略奪」(1616-1618年) ピーテル・パウル・ルーベンス

バロックとは、16世紀末〜18世紀なかばに流行した芸術スタイルです。人体の筋肉や動き、明暗を強調したドラマチックな画面が特徴で、どちらかというと装飾過剰なところもバロックの典型的な傾向です。フランダースの犬で知られ”王の画家であり、画家の王”といわれた「ピーテル・パウル・ルーベンス」もバロック時代の画家で、ベラスケスとも交流があったといわれています。

400年以上経つ今でも人の心を動かし続ける「ラス・メニーナス」、胸に刻まれた十字は誰が描いたにせよ、王とベラスケスの間の友情が形になったものであることには、変わりないのではないでしょうか。

ハプスブルク家シリーズの続編はこちら

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参考記事:

  • https://www.pen-online.jp/feature/art/rubens_antwerpen_01/
  • http://www.the-art-minute.com/the-maids-of-honor-a-visit-to-the-studio/
  • https://mymodernmet.com/diego-velazquez-las-meninas/
  • https://www.theguardian.com/culture/2003/aug/23/art

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