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メアリー1世【弾圧しすぎて血塗れ女王と呼ばれたイングランド君主】

2020/11/22
 
イングランド女王 メアリー1世
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謎の女性。歴史の中の人物像を徹底的に知りたがる世界史オタク。絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

メアリーはイングランド王ヘンリー8世と、最初の妃キャサリン・オブ・アラゴンの娘です。父母の離婚が決まったあとメアリーの王位継承権は剥奪されていたのですが、6番目の王妃キャサリンパー後ろ盾により復活します。カトリックへの復活を密かに心に秘めていた彼女は、女王になるとプロテストを弾圧して300人近くを殺害。この記事では「ブラッディメアリー」と呼ばれた女王の生涯をみていきたいとおもいます。

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イングランド女王 メアリー1世とは

ヘンリー8世 最初の妃の子供

キャサリン・オブ・アラゴン

メアリー1世は、1516218日にヘンリー8世とキャサリン王妃の子として誕生しました。彼女はヘンリー8世夫婦が結婚してから6年半、ようやく無事に産まれた子供でした。彼女の父はテューダ朝の正統な王、母は名門スペインハプスブルク家の出身という大層なものでもありました。

メアリー1世 (テューダー朝 家系図) (テューダー朝家系図)

ヘンリー8世は当初メアリーの王位継承も考えていました。しかしそれでも男児を欲したのは、「新しい王朝の下でのイングランドの舵取りは、女性の王では手に余る」と考えたためだといわれています。そこで今度は若く、子供も産めそうな、キャサリンの侍女アン・ブーリンを寵愛するようになります。

 

王と母キャサリンの離婚により、庶子におとされた元王女

キャサリン・オブ・アラゴン

ヘンリー8世は1533年にキャサリン王妃と離婚し、王妃の侍女であったアン・ブーリンと結婚メアリーは庶子に落とされ、あろうことかアンが産んだエリザベスの侍女にされたのでした。またメアリーは父と母の離婚を頑として認めず、ヘンリー8世もアンが王妃となった間は一度もメアリーに会わなかったといいます。

しかしアンにも女児しかできず、その後もヘンリー8世は次々と王妃を変え、結果的に男児3人の子女だけが嫡子として残ったのでした。王妃との離婚が決まるとメアリーの王位継承権は剥奪されたのですが、6番目の王妃キャサリンパーの後ろ盾により復活します。(参考記事:キャサリンパー【ヘンリー8世の子女を育てた 優しく聡明な王妃】)

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メアリーがイングランド女王になるまで

政敵の陰謀に振り回された数ヶ月

ヘンリー8世 子女 王位継承権

ヘンリー亡き後は、唯一の男児が王エドワード6世として即位しました。そこで若き王に政治教育を施し実験を握ったのが、野心家であるノーサンバランド公ジョン・ダドリーです。ヘンリー8世の時代から官職を歴任し、財政改革やプロテスタント政策を推進していました。しかし先天性梅毒により幼い頃から病弱だったエドワードは、先は長くないとみられていました。

死期が近いと悟ったジョン・ダドリーは、エドワード亡き後について画策。1553年にエドワード6世が崩御すると、カトリックのメアリー王女の即位を防ぐためにジェーン・グレイを女王に擁立しました。

 

レディ・ジェーンの擁立に怒れるメアリー

メアリー1世 (ブラッディメアリーの由来) (メアリー1世の肖像画)

ジョン・ダドリーの画策によりジェーン・グレイはイングランド女王になったわけですが、もちろんメアリーにとって気持ちのよいものではありませんでした。というのも、

  • 王位継承権を無視したダドリーへの怒りもありますが、
  • ジェーンが担がれて女王になったのは、彼女がプロテスタントだからであり、

母キャサリンの影響で敬虔なカトリックだったメアリーは、イングランドのカトリック復古を目指していたからです。

 

国内のカトリック勢力を味方につけ、王位奪還

そこでメアリー軍と彼女を信仰する人々が蜂起し、ジェーン・グレイを女王に擁立した人々を捕えて処刑。ジェーンの在位はわずか9日。これにてようやく「メアリーが女王」として即位することになったのです。(参考記事:【Nine-Day Queen 在位9日の女王】ジェーングレイは、何故処刑されたのか)

家系図でみる、ジェーン・グレイの失脚

ヘンリー8世 子女 王位継承権 ((テューダー朝の家系図)

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ブラッディ・メアリーと呼ばれた所以

プロテスタントを徹底的に弾圧

メアリー1世 (ブラッディメアリーの由来)

イングランド女王となったメアリー1世は、ここぞとばかりにプロテスタントを迫害しました。異端者たちをとらえて改宗をせまり、拒否したものたちは次々と処刑されました。犠牲者は300人ほどにのぼり、彼女は後に「ブラッディ・メアリー」と呼ばれるようになったのはこのためです。

メアリー1世 (ブラッディメアリーの由来)

先に結果を申しますと、メアリーはカトリック復古を成し遂げることはできませんでした。ヘンリー8世、次のエドワード6世の治世で宗教改革が進んでいたイングランド。メアリーの治世も病によりそれほど長くなかったため、人々がカトリック復古を受け入れるには統治期間が短すぎたのではないか、ともいわれています。

 

スペイン王への儚い恋と、愛なき結婚

旦那となったのは、スペインハプスブルク家のフェリペ2世

メアリー1世とフェリペ2世の結婚

多くの人に反対されながらもメアリーが結婚したのは、スペインハプスブルク家のフィリップでした。フィリップ1世の父カール5世は、婚姻を通じてハプスブルク家の重鎮となった人物。1556年に自ら退位し、そこでスペインをはじめとする領土のほとんどを継承したのがフィリップ (即位してフェリペ2世となる) です。当時スペインは最盛期を迎えており、中南米やフィリピンなど世界各地に領土がありました。

 

利害一致の政略結婚

メアリー1世とフェリペ2世の結婚

最初の妻を亡くしていたフィリップが、まだ王太子だった1554年に、メアリー1世と婚姻を結んだのはイタリアをめぐって対立していた「フランス」に対抗する意味もありました。

かわってメアリーがフェリペとの結婚を進めた背景には、母の出身国であるスペインへの愛着がありました。メアリーはフェリペに魅せられていましたが、フェリペはメアリーに対して冷淡でありました。メアリーは11歳も年上であり、フェリペはこの結婚に乗り気ではなかったのです。

フェリペ2世が所有していた領地

1581年のフィリップのヨーロッパと北アフリカの領土

1598年のフィリップの領地

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まったく姿を見せない夫、ひたすら待つメアリー

メアリー1世とフェリペ2世の結婚

挙式をすませると、フェリペは13ヶ月ほどイングランドに滞在しただけで、スペイン領であったネーデルランドにささっと帰国その後フェリペはスペインに戻り父から領土とスペイン王位を受け継いで、フェリペ2世として即位します。

メアリー1世とフェリペ2世の結婚

次にフェリペがイングランドをおとずれたのは約1年半後のことでした。しかも妻に会う為ではなく、戦争への参加要請のため…..さらにイングランドはこの戦争に加わった結果、イングランドは大陸のカレーを失ったというなんとも言えないオマケつき…

 

結婚にあたり、王位継承権に関する約束事

メアリー1世とフェリペ2世の結婚

メアリー1世との結婚は、利害が一致しただけというだけの政略結婚でありました。全盛期のスペインに気が付いたら吸収されていたなんてことをふせぐために、イギリスはしっかり取り決めを結んでおりました。

メアリー1世とフェリペ2世の結婚夫フィリップの政治権限は結婚中に限る先妻とのあいだの子どもはイングランドの王位継承権を持たずただし2人の間に子どもが誕生した場合はイングランドとスペイン領ネーデルランドを与える

結果としてフェリペ2世のイングランド滞在期間は2年に満たず、4年目にメアリー1世が亡くなって両国の関係は解消されたのでした。この後また独り身となったフェリペは婚姻を重ねますが、ブラッディメアリーの怨念か、スペインハプスブルク家は禁断の道へ進んでいくこととなるのでした。(参考記事:【本当は怖い絵画】ラスメニーナスに描かれた王女、マルガリータ|血族結婚がもたらした悲劇)

 

メアリーの後を注いだのは、異母妹のエリザベス

アン・ブーリンとエリザベス1世

メアリー亡き後は、エリザベスがイングランド女王として即位しました。ただメアリーとエリザベスの間には大きな確執があった、といわれています。キャサリン王妃が離婚する原因を作ったのは、アン・ブーリン。エリザベス1世には罪はなくとも、メアリーにとっては「自分から父を奪い、母を苦しめた女の子供」

もちろんエリザベスも同じような経験をしており、いろんな思いがあったでしょうが、異母姉メアリーが退位するまでは目立たないよう大人しくしていたといいます。ただ事実として、王を寝とったアン・ブーリンもまた悲惨な最後を迎えています。(エリザベス1世を生んだ悲劇の王妃【アン・ブーリンの最後】)

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あとがきにかえて

メアリー1世

それにしても、メアリーの肖像画を時系列をみていくとメアリーの表情が、どんどん険しくなっていく気がしませんか。子供の頃から父母のゴタゴタをみて、王位継承権があるのに横取りされかけ、カトリック復古に力を注ぐもうまくいかず結婚もいまいち。生き方は顔にでるといいますが、色々と苦労を重ねた結果でしょうか、たくさんの命を奪ったからでしょうか。またはプロテスタント派が、カトリック復古に力を注いだメアリーに恨みをもち、あえてこのような怖い表情の絵を描いたのかもしれませんね。(女王となったエリザベスの人生についてはこちら 【悲劇の王妃の娘 エリザベス1世】生涯独身を貫いた女王の素顔にまとめております)

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