マーガレット王女の悲恋【ピーター・タウンゼント大佐との情事まとめ】

イギリスの歴史

ネットフリックスでたちまち人気を集めたドラマ『ザ・クラウン』は、王位に就いた若いエリザベス女王の過去をたどる物語。しかし、君主の統治の歴史と共に語られるべき別の物語がありました。この記事では、シーズン1と2で大きく取り上げられたマーガレット王女とタウンゼント大佐の恋についてご紹介します。

この記事のポイント
  • マーガレットの初恋相手だったピーター・タウンゼント大佐
  • 二人の恋は王室や議会から祝福されず、ふたりとも別々の道を選ぶに至った
  • その結果は、マーガレット王女の人生もとい心に深い傷を残す結果となった

マーガレット王女の悲恋

ジョージ6世の部下であったピーター・タウンゼント大佐が、初めてマーガレット王女をみたのは14歳の時でした。大佐は後で「彼女は14歳の普通の少女だった」だったと回想しています。2人の恋がはじまるのはその8年後、22歳のマーガレットが1952年に父親を亡くした直後のことでした。

大佐が惹かれた、マーガレット王女の美しさとユーモア

マーガレット王女とタウンゼント大佐

タウンゼント大佐の目を引いたのは、マーガレット王女のユーモアのセンスと自然な美しさでした。

背が低くすらっとした彼女は並外れた美しさを持った少女で、大きな紫がかった青の目、寛大で繊細な唇、桃のように滑らかな顔立ちをしていた」と大佐は回想し、彼女は人を笑わせて心の琴線に触れる力があったと付け加えました。

メディアによる暴露

マーガレットと大佐の噂はイギリス王室内でとどめられていましたが、細かな所作でメディアはふたりの関係に気づきます。それは、1953年の女王戴冠式の日、マーガレット王女がタウンゼント大佐の服についた綿毛を取ったところをある記者が目撃したことがキッカケでした。

この仕草がただならぬ関係だとして、メディアは彼らが恋愛関係にあると確信し、そのニュースはすぐに世界中の新聞に掲載されたのでした。

不倫からはじまったふたりの関係

マーガレット王女とタウンゼント大佐

2人が恋に落ちるずっと前に、タウンゼント大佐はインドの駐在員を勤めており、英国に戻るとセシル・ローズマリーという女性と結婚していました。つまり、大佐はマーガレット王女より16歳年上なだけでなく、妻子がいる状態だったのです。

夫妻には2人の息子がいましたが、妻の浮気により1952年11月に大佐により離婚が申請されてました。大佐も秘密裏にマーガレット王女と密会していたわけですから、お互い様といったところですが、それが逆にふたりの行手を阻むことになります。

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イギリス王室・国教会の猛反対

二人の行手を阻んだのは歳の差だけではありませんでした。当時のイギリス王室は「離婚」にとても厳格な態度を示しており、離婚経験」のある人物との結婚を認めていなかったのです。王室だけでなく、イギリス国教会も議会も、この結婚には断固反対の意を唱えました。

認められない結婚

当時のマーガレット王女は25歳に達しておらず、結婚には、女王に即位したばかりの姉エリザベスの同意が必須でした。しかし英国国教会会長としての彼女の役割がこれをさらに難しくしたのです。国民は2人の結婚を支持しましたが、家族であるイギリス王室だけでなく、ウィンストン・チャーチル率いる内閣もこの結婚を承認することはありませんでした

報われない想い

まもなくして、王室の命により、タウンゼント大佐はマーガレット王女から離れた場所へ異動させられることが決まりました。心ない決定に二人は従わざるを得ず、マーガレット王女は泣く泣く彼を見送ることになったのです。そうして2年間離れた二人でしたが、マーガレット王女が25歳になっても、結婚の許可を得ることはできませんでした。

離婚したアントニー・エデン首相が率いる政府は、王女がタウンゼンドとの結婚を主張すれば、収入だけでなく王室の特権もすべて剥奪することを決定しました。

別々の道を歩むことを決めて

マーガレット王女とタウンゼント大佐

マーガレット王女は絶望的な立場に追い込まれ、同年10月31日彼との結婚を選ばない決断を明らかにしました。彼女にとって王室の公務はそれほどに重要なものだったのです。

「私はピーター・タウンゼント団長とは結婚しないことに決めました」と、彼女は言いました。彼女は、「相続権」を放棄すれば、民事婚ができたかもしれないということは知っていました。しかし、「イギリス連邦に対する私の義務を意識して、私はこれらのことを他の誰よりも優先することに決めました」と追加したのです。

当時のイギリスは、植民地が離れていくなど危機的状況にあり、王室はその威厳を強く必要がありました。女王として即位したばかりの若い姉エリザベスの立場もあり、マーガレット王女はどんなに愛しても彼の元へと走ることはできなかったのでした。

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あとがきにかえて

マーガレット王女と子供達

3年後の1960年5月、マーガレットはウェストミンスター寺院で、のちにスノーデン伯爵と呼ばれることになる雑誌写真家のアントニー・アームストロング=ジョーンズと結婚しました。それはタウンゼント大佐が新たな人と結婚を決めた直後だったといいます。彼女は2人の子供を授かりますが夫の浮気癖に悩み、また彼女自身も若い男性との若きスキャンダルが取り正され離婚に至りました。

タウンゼントと王女は1993年に再会しましたが、これがふたりが会う最後であったといわれています。マーガレット王女は2002年2月、71歳でなくなりました。それはタウンゼント大佐が80歳で亡くなってから7年後のことです。イギリス王室の一員であり続けるか、自分の恋を貫くか、究極の決断を迫られタウンゼント大佐と別れる決をした王女。時代と規律に縛られながらも、最後まで自ら決断をくだし続けた女性でありました。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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