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【Nine-Day Queen 在位9日の女王】ジェーングレイは、何故処刑されたのか

2020/03/29
 
レディ・ジェーン
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

在位わずか9日間でメアリー1世により廃位され、斬首刑に処されたジェーン・グレイこの記事では『ジェーン・グレイ令嬢』と呼ばれ、9日間の女王 (Nine-Day Queen)と呼ばれる背景には何があったのか。王位継承権でもいちばん遠い位置にいた彼女がなぜ女王になれたのか野心家たちに翻弄された、悲劇の女王ジェーン・グレイの人生を見ていきたいと思います。

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レディ・ジェーン・グレイとは

ジェーングレイは、何故処刑されたのか( レディ・ジェーン・グレイの処刑 画 : ポール・ドラローシュ1833年)

こちらの絵画でも知られている彼女は、1537年秋にイングランドで生まれました。父は初代サフォーク公爵ヘンリー・グレイ、母は同公爵夫人フランセス・ブランドン。ジェーンの母方の祖母がヘンリー8世の妹であり、プロテスタントだったことから、ジェーンは王位争いに巻き込まれていくこととなります。

そもそもの原因は、ヘンリー8世がおこなった宗教改革に起因しています。ここをおさえると、王位継承事情が鮮明にわかってきますので、さきに宗教改革をかんたんにわかりやすくご紹介します。

 

ジェーンも影響を受けた、ヘンリー8世による宗教改革

宗教的混乱をもたらした、国教会の設立

ヘンリー8世の知られざる事実

元々イングランドはカトリックの国、それを変えたのがヘンリー8世です。世継ぎを切望していた王は、若く魅力的な愛人のアン・ブーリンを王妃の座へつけようと奔走します。しかしカトリックでは離婚は認めていない上に、キャサリンは「カトリックの守護神」を自負すスペイン・ハプスブルク家出身でした。そしてカトリックの総本山であるバチカンも、2人の離婚は認めませんでした

イングランドの宗教改革

そこでヘンリー8世は、(自分の離婚を認めようとしない) チカンの宗教的支配から逃れるために、自らを長とし『イングランド国教会』を設立、無理やり離婚を成立させたヘンリー8世は、アン・ブーリンとめでたく再婚を果たしたのです。しかし、これが原因となりイングランドは宗教的な混乱期にはいっていったのです。(参考記事:【 アン・ブーリンの生涯】彼女は悲劇の王妃か、狡猾な魔女か)

 

ヘンリー8世が設立した、イングランド国教会とは

カンタベリー大聖堂  (イングランド国教会の総本山 カンタベリー管区のカンタベリー大聖堂)

イングランド国協会は、プロテスタントに分類されることもありますが、

  • 他プロテスタント諸派とは異なり、
  • ヘンリー8世がカトリックの総本山から独立するために
  • カトリック教会の教義自体は否定せずに作られたため、

典礼的にはカトリック教会との共通点が多く『イングランド王が教会の長であること』が最大の特徴です。

 

なぜジェーンは、王位につかなければならなかったのか

ヘンリー8世没後の王位継承権

ヘンリー8世 子女 王位継承権

こちらがヘンリー8世の定めた、王位継承権の順位です。

なぜ王位継承権4位のジェーンが、2位のメアリーをすっ飛ばして女王となったのか。背景にはヘンリー8世が2番目の王妃アン・ブーリンと結婚するためにおこなった宗教改革があります。

テューダー朝の家系図

ジョン・ダドリーとレディジェーン

 

エドワード6世の次は、誰が王位につくのか

エドワード6世 (ジェーングレイは、何故処刑されたのか)(エドワード6世 1537年生まれ 在位1547年−53年)

ヘンリー8世がなくなったあと王位継承権1位のあったエドワードが即位しますが、病気により6年ほどで亡くなってしまいます。さて、その次に王座につくのは誰なのか。ここでジェーン・グレイの血統に目をつけた野心家がいました。その人物こそ、巨大な陰謀論を企てたジョン・ダドリーです。

ジョン・ダドリーとレディジェーン (テューダー朝家系図) (テューダー朝の家系図 ジョン・ダドリーとレディ・ジェーン)

自身の息子ギルフォードをジェーンと結婚させると、メアリー王女とエリザベスの王位継承権を否定して、ジェーン・グレイを王位継承者とするよう、エドワード6世を説得したのです。

 

野心家たちが押したのは、レディ・ジェーン・グレイ

これはジョバンニが描いた、ジェーンに王冠を受け入れるよう懇願するジョン・ダドリーと実父のヘンリーです。ジョン・ダドリーは「(自分が後見人をつとめる)ジェーン・グレイこそが時期女王にふさわしい血統だ」として彼女を無理やり女王に即位させたのでした。

ジョン・ダドリーとレディジェーン (テューダー朝家系図)

そもそもジェーンは王座につくつもりなどなく、エドワード6世が亡くなるやいなや、ジョン・ダドリーになかばムリやり即位宣言をさせられたジェーンは、ただ驚くばかりだったといいます。

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母の無念、カトリックを復活させたい娘メアリーの蜂起

ジェーングレイは、何故処刑されたのか(ヘンリー8世と最初と妻の子メアリー)

さて廷臣であるジョン・ダドリーの画策によりジェーン・グレイは王女になったわけですが、それを快く思わなかったのが、エドワードの跡をつぐはずだったメアリーです。

ヘンリー8世 子女 王位継承権

ヘンリー8世はカトリック教会と断絶したあと当時国内にあったカトリックの修道院を破壊しては財産を没収しては莫大な富を得るといった暴挙にでており、国内に敵も多くありました

 

レディ・ジェーンの王位に疑問を呈したメアリー

ジェーングレイは、何故処刑されたのか(メアリー1世の肖像画)

先に王となったエドワード6世、ジェーン・グレイとその夫もプロテスタントでした。しかしメアリーは敬虔なカトリック教徒であり、即位した暁にはイングランドをカトリック国に戻すつもりでした。そんなメアリーに、

  • ジョン・ダドリーの政敵や
  • 国内の抑圧されたカトリック勢力、国民の半数が加担し

メアリーは放棄した民衆とともにロンドンへと進軍。9日後にはダドリーらを打ち負かし、改めて『新女王メアリー』を誕生させたのでした。これは同時に、レディ・ジェーンの失脚を意味しました。

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ジェーン・グレイの失脚と処刑

ジェーングレイは、何故処刑されたのか

その後メアリーは国内をカトリックに復帰させ、プロテスタントを迫害『ブラッディ・メアリー』と呼ばれるようになったのは、女性や子供を含む約300人を処刑したからです。しかしそんな彼女といえど、あきらかに王位継承権を周りに利用されただけのジェーンを処刑するにはためらいがありました。

ジェーングレイは、何故処刑されたのか

メアリーはもしカトリック信仰に改宗するのであれば、命を助けましょうと申し出ますが、ジェーン夫妻は断りました。そうしてためらいながらも、メアリーは枢密院の勧告を受け入れ、ジェーンとギルフォードの処刑を命じたのです。

 

処刑が決まったジェーンと、野心家たちの運命

レディ・ジェーン

ジョン・ダドリーは反逆罪で処刑され、ジェーンとギルフォードは別々に幽閉されました。夫ギルフォードは処刑前日に妻ジェーンとの面会を希望しましたが、「彼女は苦痛が増すばかりですから」と面会を拒否したといいます。

レディ・ジェーン

これはポール・ドラローシュが描いた『レディ・ジェーン・グレイの処刑』です。

ジェーングレイは、何故処刑されたのか

サテンの純白のドレスを身にまとったジェーン・グレイが布で目隠しをされ、傍らにいる中年の司祭に導かれて、小さな斬首台に手を伸ばしています。ジェーンは最後まで夫とともにプロテスタントを貫き、結婚指輪をしたまま処刑された、といわれています。

 

権力欲しさにジェーンを利用した、ジョーン・ダドリー

エドワード6世とジョン・ダドリー

当時のイングランドは、プロテスタントであるエドワード6世の治世の終わりということもあり、宗教改革がすすんだ時期でもありました。国協会の教義もプロテスタントとカトリックが半々といった、中庸的なものでした。

しかし「敬虔なカトリック信仰をもつメアリーが王になれば、カトリックへの復古は確実なものになる」、もしメアリーが女王になれば、エドワードについて宗教改革  (プロテスタント信仰) を推進したダドリーは、失脚させられる可能性が高い。

ジョン・ダドリーとレディジェーン

そういったなかで、カトリックへの復古と弾圧を予想し、国外へ脱出したプロテスタントの貴族は多かったのです。彼がそうしなかったのは、単純に権力を手放したくなかったからなのかもしれない、ともいわれています。

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あとがきにかえて

レディ・ジェーン(レディ・ジェーン・グレイ)

イングランドは女系の継承権を認めておりましたので、元々ジェーンも王位継承権はもっていたのです。ただ継承順位についてはヘンリー8世の実子であるメアリーやエリザベスよりは低いものでした。2人の継承権を剥奪するのを民衆がよしとしなかったのも、自然の道理だったのでしょうか。

レディ・ジェーン野心家たちに出自を利用され、振り回されつづけた彼女の続けた人生。もしかしたら「わたしは改宗せず、死刑を受け入れます 」という返答が、彼女が残した最初で最後の意思だったのかもしれません。

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参考文献

  • https://www.hrp.org.uk/tower-of-london/history-and-stories/lady-jane-grey/#gs.9j5zdq
  • https://en.wikipedia.org/wiki/Lady_Jane_Grey
  • https://en.wikipedia.org/wiki/John_Dudley,_1st_Duke_of_Northumberland

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