【メアリーステュアートの生い立ち】生まれながらのスコットランド女王

メアリー・ステュワートの生涯悲劇の王妃
スポンサーリンク

魅惑の女王メアリー・ステュアート。生後6日目にしてスコットランド女王となり、イギリスから逃れるためにフランス宮廷へはいります。多くの男性と恋をして自由奔放したたかに生きるも最後は英国女王のエリザベス1世の暗殺計画をたて、処刑されるというなんともドラマチックな人生。の記事では、そんな波乱に満ちたメアリー・ステュアートの生い立ちをご紹介します。

この記事のポイント
  • 父が急死し、生後6日目にしてスコットランド女王となったメアリー
  • 英国ヘンリー8世の手から逃れるため、母方の故郷フランスへ嫁ぐが夫は早逝
  • 美貌をもって周りを翻弄しつつ、自身の莫大な権力に振り回される運命にあった
スポンサーリンク

生まれながらの女王

(メアリーステュアートの両親 画像引用元:Wikipedia)

1542年アリーはスコットランド王ジェームズ5世と、2人目の妻マリアの元に生まれましたメアリー・スチュアートと名付けられた彼女は、『スコットランド王の唯一の正当な娘』であり、当時『イギリスの主権を握っていたヘンリー7世のひ孫』という大層なものでした。

 

 

 

 

 

しかも生後すぐに父が亡くなってしまったので、メアリーは生後6日目にしてスコットランド女王となったのでした。

メアリーを巡る戦争

ハンス・ホルバイン画 『ヘンリー8世』(1537年ごろ)

強欲で知られるイギリス王ヘンリー8世生まれたばかりのメアリーを息子のエドワードと結婚させることで、スコットランドを手に入れようと画策します。しかしヘンリー8世といえば、妻を幾度も変えるほどの女好きで、残虐でわがままな国王です。娘の将来を懸念したメアリーの母親はその申し入れを拒絶しました。

母は「まだ幼いですから、もう少し育ってから…」とメアリーの引き渡しを伸ばしつづけますが、業を煮やしたヘンリー8世はスコットランドにイギリス軍を送り込んでしまいます結果メアリーがイングランドに奪われることはありませんでしたが、1万ものスコットランド兵が命を落としました

スポンサーリンク

逃れるためフランスへ

 (スコットランド女王メアリー 19世紀、ロバート・ヘルトマン画)

メアリー・スチュワートの母は、フランス王家の血を継ぐギース家の出身でした。イギリスの要求を逃れたメアリーは、フランスへ救いの手を求めます。フランスの次期皇帝であるフランソワ2世の許嫁となり、1548年フランス宮廷に向けて旅立ちます宮廷での華々しい生活は彼女にとって目覚ましいものでした。

メアリーはそこでフランスの王女として13年間を過ごし、フランス国王アンリ2世が亡くなったあとは、フランスの女王として過ごしました。スコットランド女王とフランス女王を兼任したメアリー、可愛らしさとは裏腹に巨大な権力をもった彼女の運命はまた違う方向へ傾いていくのでありました。

義理父王の困った声明文

(アンリ2世の肖像画

イングランドでヘンリー8世の娘であるエリザベスが女王になった頃フランスのアンリ2世 (メアリの義理父) が困った声明文をだしました。

庶子であるエリザベスの王位継承権には疑義があり、ヘンリー7世の曽孫であるメアリー・ステュワートこそ正当なイングランド王位継承権者である

イングランド国王から逃げるために母方の故郷フランスへ嫁いだメアリー。今度はそのフランスがメアリーを使ってイングランドを手に入れようとしたのです。

怒ったイングランド女王

(1546年頃のエリザベス作者不明 画像引用元:Wikipedia)

元々メアリーは「庶子だから女王になる権利などない」とエリザベスをバカにしたような態度をとっており、ふたりは犬猿の仲と呼ばれておりました。声明文を聞いてエリザベスは大激怒しますが、アンリ2世はこの翌年祝宴中の余興による事故で亡くなってしまいます。

とにもかくにも、2人の女王の間には一層おおきな溝ができていくのでした。

スポンサーリンク

まとめ

生後6日目にしてスコットランド女王となったメアリー。領土を狙う英国ヘンリー8世の手から逃れるため、母方の故郷フランスへ嫁ぎ、「スコットランド女王」と「フランス王妃」を兼任するなどして、美貌だけでなく莫大な権力を手にすることとなりました。

しかしその権力に目を付けた義理父により、いとこであるエリザベス女王との間には確執が生まれます。美貌をもって周りを翻弄しつつ、自身の莫大な権力に振り回される運命にあったのでした。未亡人となった彼女はスコットランドへ戻りますが、恋多き女王は男性スキャンダルに見舞われ最終的にはそれが仇となって処刑台へ送られることとなります。その生き方は、死ぬまで独身を貫きヴァージンクイーンと呼ばれたエリザベス1世とは、良くも悪くも真逆だったのです。

関連記事

 

タイトルとURLをコピーしました