ルイ14世が自らの権力誇示のために建設したヴェルサイユ宮殿。建設のために多くの市民が駆り出され、また戦争でケガをおった兵士も危険な現場にあてがわれました。廷臣や貴族を含めて3,000人もの人々が暮らすことになったこの宮殿の建設には、多くの犠牲がともなったのです。この記事では、そんなヴェルサイユ宮殿建設にまつわる裏話をご紹介します。
ヴェルサイユ宮殿が建設されるまで
幼い時にフロンドの乱でパリを終われた経験をもつルイ14世は、新たな地ヴェルサイユに宮殿を築くことにしました。
しかし当時のヴェルサイユは開拓されていない辺鄙な寒村。庭に噴水をつくるほど壮大な計画を描いていた国王に、貴族だけでなく廷臣もが訝しげな顔をしました。「理想の宮殿を作る」ことに取り憑かれたような国王をみて、人々はときに「国王は狂っている」「宮殿に時間とお金を費やしすぎ」だと批判の念を向けたといわれています。
ヴェルサイユ宮殿を建築するのに夢中だったルイ14世は、戦場でも工事の進行を逐一報告させていました。提出された設計図を1枚1枚丹念にチェックしときには修正を加え、納得するまで同意のサインをすることはありませんでした。ときにはみずから建築のスケッチを描くほどでした。
ヴェルサイユという辺鄙な寒村に新たな王城
そもそもヴェルサイユには、ルイ13世が使っていた古い狩猟小屋があった程度でした。そのため、建築家にとっても、労働者にとっても新たな地の開拓は相当に労力がかかるものでした。建築家が縮尺模型を作ってルイ14世に見せると、「宮殿の後ろにもう一つ部屋を追加しよう」と言われた、といったエピソードも残っています。
ちなみにそれが現在、シャトーで最も有名な部屋、鏡の館です。度重なる変更に加えて、精巧で迅速な工事が求められ、たくさんの人材がヴェルサイユ宮殿の建設にかりだされることになりました。
危険な現場、宮殿の建設には多くの犠牲
ヴェルサイユ宮殿の建設では多くの犠牲が出ました。
建物を早く完成させるために作業を急がされ、その作業は夜まで続きました。足場の多くは固定されていないため、足場が崩壊したり壊れたりして、作業員が高所から転落することもありました。重い物や固定されていない物を運んだり、不注意によるつまずきや落下、物をぶつけたり落としたりすることは日常茶飯事で、これはヴェルサイユ宮殿の建築でおこったケガのほんの一部です。
ルイ14世が建物を視察にきたとき、宮殿建設中に死んだ男性の母親が彼に向かって悪態をついたこともありました。生まれてこの方褒められる多かった国王はひどく驚き、その女性は連れ去られて刑務所にいれられたといいます。建物の大部分が完成すると、宮廷はヴェルサイユに移されました。宮廷の婦人たちは、髪には漆喰の粉がつくし、埃や土はまうしホールからは悪臭が漂っていると、いつも文句を言っていたそうです。
ベルサイユ宮殿は1682年に完成し、1789年10月のフランス革命まで、宮廷の公式の場所、王族の住居とされました。
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ヴェルサイユの庭園
国王こだわりの噴水
ルイ14世は目指したのは、『人工的な幾何学庭園』と『広大な自然』を生かした森林とがいつのまにか一つになるというようなつくりでした。その結果、小庭園と大庭園からなるヴェルサイユの庭園は1万7,000ヘクタールにまで広がりました。「自然が自分に拒否している水」をいたるところに探させたがったルイ14世は、とくに噴水に拘りました。
しかし中世において噴水を設置させるのは、とても大変なことでした。セーヌ川の水を高さ154メートルのマルリーの丘まで汲み上げ、そこから8キロメートルもの水道でヴェルサイユまでひいたのです。それでもまだ足りず、近郊1万5,000ヘクタールにわたる地帯で雨水や雪解け水を集め、800万立法メートルの貯水をこの街にもたらすという大工事が行われました。
ちなみにこれらの給水設備は、今もなおヴェルサイユ市を潤しているといいます。
人工的にひかれた運河
やがて長さ1,520メートル、幅120メートルという広大な「大運河」もつくられました。1674年、ヴェネツィア共和国は大運河に浮かべる2隻のゴンドラをフランス国王に送り、また宰相コルベールは、艦隊をミニチュア化した10隻の舟遊び用の召喚隊を造らせたといいます。
庭には名高い「ラトナの泉水」、彫像や樹木で囲まれた「国王の庭園」、4つの泉水をもつ四葉型の島である「オベリスクの泉水」、珍しい動物たちがあつめられた「小動物園」、「トリアノン宮殿」など、趣向を凝らした建築が並んでいます。重機もない中世に造られたとは思えない、精巧なつくりです。ルイ14世はこの庭園をたいそう気に入り、ヴェルサイユを訪れた各国大使や要人たちにみずから庭園を案内してまわったそうです。
ちなみに水の供給システムはこんな大々的に造られていたにもかかわらず、宮殿にはトイレが殆どありませんでした。(参考:【ヴェルサイユ宮殿のトイレ事情】世界で最も不潔な場所と言われた理由)
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豆知識
そうして完成したヴェルサイユ宮殿には、フランス各地から貴族が移り住み、廷臣を含むと約3,000人もの人々が暮らすようになりました。そんな当時の宮殿を警備していたのは、
- 剣と軽小銃で武装していた、王城の番兵
そして、徹夜で宮殿をまもっていたのが、
- 王自ら選抜した由緒ある騎兵隊、親衛騎兵
- 親衛騎兵の歩兵版である、フランス衛兵
- フランス国王軍の傭兵となったスイスの兵士、スイス100人隊
でありました。こう並べるといかにも警備が万全のようにみえますが、実際宮殿では毎晩のように貴族や来客が出入りし割と出入りは自由であったそうで泥棒も多く物騒だったとか…. 。以前ヴェルサイユ宮殿は衛生には無頓着だったことも記事にいたしましたが、豪華な宮殿には、あまり知られていない裏事情があるのでした。
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