【ダイアナ妃はなぜ亡くなったのか】世界を震撼させた交通事故の真相

princess dianaイギリス王室

その美貌と快活さでダイアナ旋風を巻き起こした美しきプリンセス。チャールズ皇太子との不仲が明るみになり離婚に至るも、1997年、彼女は自動車事故で亡くなってしまいます。それでも彼女はイギリス王室で最も愛されているメンバーのひとり、この記事では、今更きけないダイアナ妃が亡くなった真相を追っていきます。

記事のポイント
  • けして幸せとはいえない結婚生活に苦しんだダイアナ妃
  • 皇太子にとってカミラ夫人の存在は予想以上におおきく、結果ダイアナ妃は離婚に至る
  • 立ち直ろうとしていた矢先の死、偶然の交通事故であり陰謀論は全て嘘
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妃に嫉妬する皇太子

一躍ときの人となったダイアナ妃、その美しさや優雅なふるまいはイギリスだけでなく世界中の人々を魅了しました。しかし、ダイアナ妃が脚光を浴びるほど、チャールズ皇太子の自尊心は傷つきふたりの仲はギスギスしていくこととなります。

新鮮で明るく現代的な彼女がいると場が明るくなるのに対して、皇太子だけでは誰も興味を示さない。皇太子は八つ当たりか、「目立ちがり!あなたのせいで、私は笑われている」と冷たく言い放つこともありました。

カミラ夫人の存在

そんな皇太子が心の拠り所としたのが、聞き上手のカミラ夫人でありました。年上で離婚経験のある彼女は伴侶としてふさわしくない、と王室は頑なに反対していましたが、ふたりの関係はチャールズ皇太子が結婚した後も密かに続いていたのです。

カミラ夫人に対して、皇太子は「私の結婚は全て見せかけだ、狂っている。私はただあなたと一緒にいたい。それ以外はすべて嘘っぱちだ」と述べたといいます。

別居の発表

不仲が続いていたロイヤルカップルの別居が発表されたのは、1992年12月9日のことでした。ダイアナが暮らしていたケンジントン宮殿からはチャールズの私物や痕跡が取り払われました。

そして、チャールズ皇太子が暮らすハイグローヴ邸からはダイアナの私物や痕跡が取り払われていきました。その後1993年12月3日に、ダイアナは「王室における公務からの引退」を宣言しました。

チャールズ皇太子とダイアナ妃

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メディアへの露出

どこをとっても悲劇な状態でしたが、ダイアナはあまった情熱を事前慈善事業へと傾けていきました。ホスピスや孤児院を積極的に訪問し、エイズやハンセン病患者にも怖気ることなくふれあい、抱きしめました。

1995年にはその波乱に満ちた私生活、夫の愛人の存在、自身の自殺未遂に摂食障害、また自らも不倫をしていたことをBBCテレビのインタビューで赤裸々に語りました

ダイアナ妃

ロイヤルカップルの離婚

正式に離婚が発表されたのは1996年のこと王室というしがらみから開放された彼女は『社会事業家』として生きることに生きがいを求めるようになります。

ホームレスのための慈善事業を中心として、エイズ基金、ハンセン病救護院などをはじめ、より積極的で濃い内容の活動をスタートさせたのでした。心の交流やスキンシップが得意だった彼女は、ようやく自分らしく羽ばたけたかのように、生き生きとした表情をみせました。

ダイアナ妃

王室を追い出されても母

別居後ダイアナは皇室行事からは締め出され、皇太后の誕生日にも招待されることはなく彼女のまわりに廷臣や女官がつけられることもありませんでした

どん底にいたダイアナの心を慰めたのは、ウィリアム王子の「どんな風に呼ばれても、ぼくにとっては大切なママだよ」という言葉だったといいます。ウィリアム王子とヘンリー王子は、最後まで母を慕っていたといいます。

ダイアナ妃

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新しい恋人と束の間の日々

そして1997年夏、ダイアナは新しい恋人と地中海のサルディニア島でバカンスを楽しむまでになりました。ロンドンのハロッズやパリのリッツホテルを所有するアラブ人、モハメド・ファイドの息子ダディと出会い、新たな幸せに片足をかけていたのです。

不運の事故

その矢先、8月31日深夜、ダイアナがパリで交通事故に遭い亡くなったというニュースが世の中を駆け巡りました彼女の乗ったリムジンはパパラッチに追われ、時速190キロで疾走トンネル内のコンクリートの支柱に激突、一緒に乗っていた恋人ドディと運転手も即死でした。病院に運ばれましたがその日のうちに彼女は亡くなり、訃報が皇太子の元へも届けられました。

ダイアナ妃

飛び交う陰謀論

この事故については、様々な陰謀論も飛び交いました。それは、ダイアナがドディ・アルファイドとの結婚を機にイスラム教に改宗する恐れがあり、将来の英国王(国教会首長)となる人物の母親がイスラム教徒という事態を防ぐためまたはダイアナがドディの子を身ごもっていて、アルファイド一族が未来の英国王の異父兄弟になることを阻止するた、イギリス政府が暗殺したといったものです。

事故の真相

実際どうだったのかというと、検死ではダイアナの妊娠は確認されず、フランス警察も「ダイアナとドディがシートベルトを着用していたら一命を取り留める可能性はかなり高かった」としていることから、それらはただの都市伝説であるというのが現在の通説です。たしかに、被害者が生き残りそうな、しかも結果どう転ぶかわからない事故を企てるのは考えにくいといえるでしょう。

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まとめ

けして幸せとはいえない結婚生活に苦しんだダイアナ妃。皇太子にとってカミラ夫人の存在は予想以上におおきく、ダイアナ妃との溝は深まるばかりでメディアを巻き込んで大騒動に発展。ふたりは離婚に至り、お互いが新しい道を歩もうと進み始めていた矢先に起きた事故。偶然の交通事故であり陰謀論は全て嘘だったといわれています。

ダイアナ妃 (当時あつまった献花)

36歳という若さで亡くなった彼女の知らせに世界中の人が悲しみ、ケンジントン宮殿の外にはおびただしい数の献花とメッセージが山積みになりました。

王室へ嫁いでいなければ、彼女がこんなにも苦しみ、早くに亡くなることもなかったのでしょうか。しかし悲劇の最期を迎えたからこそ、ダイアナ妃の記憶は人々の中に鮮明に刻まれることになったのかもしれません。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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