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【ヴァージンクイーン】悲劇の王妃の娘, エリザベス1世の波乱万丈な人生

2019/11/28
 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

イギリス国王ヘンリー8世と、2番目の妻アン・ブーリンの間に生まれたエリザベス1世。彼女はグロリアーナ (栄光ある女人) と呼ばれ、「自分が結婚しているのは、(男性ではなく)この国だ」と宣言し、イギリスにほぼ半世紀の安定をもたらしましたこの記事ではエリザベス1世について、あまり知られていない7つのことをご紹介します。

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① エリザベスは女王になるつもりはなかった

(エリザベス1世 画像引用元:Wikipedia)

エリザベスは今や最も偉大な君主の一人として称賛されていますが、王座には遠い位置にありました。原則として王位継承は男児に有利な時代であり、さらに女児といっても彼女だけでなく、姉メアリーもいたからです。さらにエリザベスは、母親アン・ブーリンが処刑される前に、アンとヘンリー8世の結婚は無効だと宣言され、相続からは完全に外されていました。(アン・ブーリンが処刑にいたるまでは、映画『ブーリン家の姉妹』で詳細に描かれています)しかし最後に、継母キャサリンのおかげで、王位継承権が復活したのです。

 

② 実母アンではなく、継母キャサリンを愛した

(継母キャサリン ヘンリー8世の6番目の王妃であり、最後の王妃 画像引用元:Wikipedia

王妃となったキャサリンは、当時庶子の身分に落とされていたメアリーとエリザベスをすぐに宮廷に呼び戻して、王位継承権保持者の地位に戻すことを王に嘆願しました。これが1543年の第三王位継承法制定につながります。まだ幼少のエリザベスは、初めての母親らしい存在となったキャサリンに特になついたようで、彼女を「大好きなお母様」と呼んだ手紙が残っています。子女たちが王族としての深い教養を身に着けられたのも、聡明な王妃が勉学環境に心を砕いた賜物だったのです。

(ロンドン塔のアン エリザベスの実母 引用元:WIkipedia

 

③ チヤホヤされるのが好きだった

(ハットフィールド・ハウス。1558年11月に、この城館でエリザベスは姉の死を知らされる)

エリザベスは廷臣にニックネームをつけるのが好きだったといいます。エリザベスは母親のアン・ブーリンと同じくらい浮気者として有名でした。彼女は宮廷で最もハンサムな男たちに囲まれることを好み、結婚を望むさまざまな外国の王子たちをもてなしました。エリザベスは自分の女性らしさを利用して男性優位のコートをひざまずかせ、長官のバーグリーを彼女の 「魂」 と呼び、彼女の恋人とされていたロバート・ダドリー (レスター伯爵) を彼女の 「目」 と呼ぶなど、お気に入りの廷臣にはふざけたあだ名をつけたそうです。

 

④ 結婚はせずとも、外見にはこだわった

(1546年頃のエリザベス 作者不明 引用元:Wikipedia)

彼女が女王となったあと、多くの求婚者があらわれました。彼女の治世の初期はヨーロッパで最も望ましい花嫁とされたエリザベスですが、肉体的魅力が薄れ始めるにつれ、彼女はあざとい戦術を使って男性の注意を自分自身に向けさせようとします。このように、エリザベスは豪華な材料と鮮やかな色の贅沢なガウンを着て宮廷に現れたましたが、彼女の他の女性たちは黒白の服を着ていたとか。どんなに魅力的な女性がいてもエリザベスの元へ目がいってしまうのでした。

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⑤ どの君主よりも、準備に時間がかかった

(Elizabetin krunidbeni portret 画像引用元:Wikipedia)

エリザベス1世は他のどの君主よりも準備するのに時間がかかったといいます。エリザベスはいつも自分の容姿にこだわり、年々服を着る儀式は複雑になっていきました。「女王が服を着て、脱ぐ」という一連の儀式を終えるのに、侍女たちは毎日4時間という驚くべき時間を費やしたそうです。エリザベスはもともと自分の色に合ったウィッグをを使っていましたが、年をとるにつれて、これは白髪を隠すために使われるようになります。そして、化粧は顔だけではなく、顔、首、手にも、セルセ(鉛白と酢の混合物)を塗って、外見を綺麗に魅せることにこだわっていたそうです。ただ身体にはよくなく、実際のところは皮膚に大きなダメージを与えていたのでした。

 

⑥ 独身を貫いたのは、彼女の治世に男性は必要なかったから

(Elizabeta I na sjednici parlamenta 画像引用元:Wikipedia)

彼女が生涯通じて独身だったことは有名ですが、しかし実際のところ、彼女が即位すると、求婚者は絶えず、まわりも彼女の結婚を期待していました。ただ彼女があまりに抵抗を続けるので、「彼女が結婚しないのには、何らかの秘密の理由がある」といくつものデマがでまりました。「ビズリー・ボーイ」 の物語によると、『本当のエリザベスは若い頃に死んでいて、見つけられた唯一の赤毛の子供に取って代わられた。少年であることは不便であったが、生涯を女性の格好で過ごし、その見せかけを続けた』とか。議会は繰り返し結婚を請願したが、彼女は常に言葉を濁して答えていたそうです。「もしも私が私本来の意向に従うならば、『結婚した女王よりも、独身の乞食女』を選びます」と。

 

⑦ 男勝りだけど、慈悲深い女王

(スコットランド女王メアリー 画像引用元:Wikipedia)

スコットランド女王メアリーは、ヘンリー8世の姉マーガレット・テューダーの孫であり、有力なイングランド王位継承権を持っていました「庶子のエリザベスに統治する権利はない」とエリザベスを散々非難して、彼女を憤慨させます。2人の王女の生き様は真反対で、独身を貫き国を安寧に導いたエリザベスに対して、メアリーは恋にうつつを抜かして夫を取っ替え引っ替え、そのなかで殺人事件をくわだて国民の反感を買うのです。行き場を失ったメアリーが逃げ込んだのは、散々ばかにしていたエリザベス1世が統治するイギリスでした。最終的にはメアリーが、看守たちを誘惑してエリザベス暗殺計画を企てていることを知り処刑するのですが、殺されてもおかしくないところを、「監禁」という形で十数年にわたりメアリーを受け入れたのでした。(参照記事:【処刑台でも女王】魅惑の女性、メアリーステュアート

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あとがきにかえて

(ウェストミンスター寺院の西側ファサード 画像引用元:Wikipedia)

1603年エリザベスは69歳の生涯を閉じました。彼女の棺は夜間に松明を灯した艀に乗せられて、川を下りホワイトホール宮殿へ運ばれました。葬儀では棺は4頭の馬に曳かれた霊柩車に乗せられて、ウェストミンスター寺院へ移されたといいます。

(画像引用元:https://movies.yahoo.co.jp/movie/330947/)

映画『ブーリン家の姉妹』では、エリザベスの実母アン・ブーリンの生涯がこまかに描かれています。ナタリー・ポートマン演じるアン・ブーリンと、イギリス国王ヘンリー8世の駆け引きに、当時の美しい宮廷と装飾品の数々、ストーリーも面白く、とても勉強になるので興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか

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