EVER UPWARD. WE CAN DO IT.

【アンブーリンの娘 エリザベス1世】イングランド発展の礎を築いた女王

2020/06/17
 
エリザベス1世の波乱万丈な人生 (アン・ブーリンの娘)
この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

イングランド王ヘンリー8世と、2番目の王妃アン・ブーリンの間に生まれたエリザベス1世イギリス史上最も有名な君主にして、イングランドに黄金時代を築き『発展の礎』を作り上げた人物です。ヴァージンクイーンの異名を持つ彼女は、「自分が結婚相手はイングランドです」と宣言し、イギリスにほぼ半世紀の安定をもたらしました。この記事では女王エリザベス1世と、彼女をもっと知るための7つのことをご紹介します。

スポンサーリンク

国を落ち着かせ、発展の基礎を築いたヴァージンクイーンの生涯

母親の処刑、苦労した幼少期

アン・ブーリンとエリザベス1世

エリザベス1世は、153397日にヘンリー8世と2番目の王妃アン・ブーリンの子として産まれました。誕生してわずか3年後、母アンは姦通罪で処刑されてしまいました

アン・ブーリンの処刑(参考記事:エリザベス1世を生んだ悲劇の王妃【アン・ブーリンの最後】)

父であるヘンリー8世はすぐに再婚したため、エリザベスは庶子の身分に落とされます。しかし1543年にヘンリー8世が迎えた王妃キャサリン・パー彼女を宮廷に呼び戻し、彼女の後ろ盾をえて、『エリザベスの王位継承権』が復活することになったのでした。

 

3人の子女と共に、愛情を持って育てられた

エリザベス1世とキャサリンパー

「大好きなお母さま」と書いた手紙が残っているほど、エリザベスはキャサリンに懐いていたといいます。キャサリン王妃の庇護のもと、エリザベスは帝王教育がはじまった異母弟エドワードと共に多くのことを学んでいきました(参考記事:【イギリス王宮の歴史】ヘンリー8世が残した、嫡子たちの運命)

エドワードと同じくエリザベスもプロテスタントだったのは、育ての母となった王妃キャサリンの影響が大きい、といわれています。その後1547年に父ヘンリー8世は死去。王位はエドワードが一旦つぎますが病弱なために早逝、異母姉のメアリーにわたりました

 

最初の妃の娘であり、異母姉メアリーとの確執

ブラッディーメアリー

ブラッディメアリーと呼ばれた姉の治世は、宗教問題やスペイン王太子 (フェリペ2世) との結婚問題で国内が騒然となった時期でもあり、エリザベスはワイアットへの乱への関与を疑われて幽閉されたこともありました

しかし、エリザベスは生母やその他王妃の悲惨な末路をみてきたことから冷静に対処。メアリー1世が亡くなる1558年まで目立たないよう静かに過ごし、姉が亡くなったあと女王として即位しました。

エリザベス1世の生涯 (アン・ブーリンの娘))

エリザベスの治世は「イングランドを落ち着かせ、発展の礎をつくった」といわれています。母アンに姉メアリーの混乱を目にして育ったためか、エリザベスは生涯伴侶をもつことはなく終生独身を貫きました。

 

落ち着きをもたらしたとされる、エリザベスの治世

エリザベス1世

敬虔なカトリックであった姉は、プロテスタントを徹底的に弾圧。多くの人が処刑され、たくさんの血が流れました。エリザベス1世は即位すると、早々にメアリーによって乱れた宗教改革の是正に励みました。イングランド国教会を再建し、カトリックを再び抑圧するようになったのです。これに怒ったのが姉メアリーの元夫スペイン王フェリペ2世

フェリペ2世 (メアリー1世の夫)

彼は「もはや和議はない」として、のちにイングランドに攻め込んできますが、偶然も重なりイングランドの圧勝、スペインの干渉を受けるには至りませんでした。ただ世継ぎがいなかったために、テューダー朝は彼女の代で終焉することになりました。

 

スコットランド女王メアリー・ステュアートの脅威

犬猿の仲 エリザベスとメアリー・ステュアート

またエリザベスの脅威は、フェリペ2世だけではありませんでした。親戚にあたるスコットランド女王のメアリー・ステュアートです。フランスに嫁いだ彼女は、エリザベスを「所詮庶子」とバカにして、義理父のフランス皇帝アンリ2世とともに、イングランド女王の座を狙っていました

テューダー朝家系図 (エリザベスとメアリー)

ただアンリ2世は亡くなり夫が早逝すると、メアリーは犬猿の仲であった姑カトリーヌ・ド・メディシスにフランス宮廷を追い出され、スコットランドに戻されてしまいました。色々スキャンダルもありイングランドに逃げ込んだメアリーはそのまま幽閉。それでもしぶとくエリザベス暗殺計画を目論んでいたために「これ以上は…」と、命の危機を感じたエリザベスは議会の声をうけ彼女の処刑を決めたのでした。(参考記事:【処刑台でも女王】魔性の女、メアリーステュアートの生涯

スポンサーリンク

エリザベス1世を、もっと知るための7つのこと

① エリザベスは女王になるつもりはなかった

アン・ブーリンの娘エリザベス1世の波乱万丈な人生(エリザベス1世の肖像画 画像引用元:Wikipedia)

エリザベスは今や『最も偉大な君主のひとり』として称賛されていますが、実は王座には遠い位置にありました。こちらがヘンリー8世の定めた、王位継承権です。

テューダー朝の家系図 (ヘンリー8世の孫 レディジェーン2) (参考記事:【在位9日の女王】ジェーングレイは、何故処刑されたのか)

原則として王位継承は男児とされており、さらに女児にしても彼女だけでなく姉メアリーもいたからです。さらにエリザベスの母アンは姦通罪で処刑されており、『アン・ブーリンとヘンリー8世の結婚は無効』だと宣言されていたために、相続からは完全に外されていました。しかし最後に、継母キャサリンのおかげで、王位継承権が復活したのです。

 

② 実母アンではなく、継母キャサリンを愛した

アン・ブーリンの娘エリザベス1世の波乱万丈な人生(継母キャサリン ヘンリー8世が娶った最後の王妃 画像引用元:Wikipedia

ヘンリー8世の最後の王妃となったキャサリンは、当時庶子の身分に落とされていた『メアリー』と『エリザベス』をすぐに宮廷に呼び戻しました彼女らが王位継承権を取り戻せたのは、彼女が王へお願いしたおかげです。

アン・ブーリンの娘エリザベス1世の波乱万丈な人生

まだ幼少のエリザベスは、初めての母親らしい存在となったキャサリンに特になついた、といいます。彼女を『大好きなお母様』と呼んだ手紙が残っているほどです。子女たちが王族としての深い教養を身に着けられたのも、聡明な王妃が勉学環境に心を砕いた賜物だったのです。(参考記事:キャサリンパー【ヘンリー8世の子女を育てた 優しく聡明な王妃】)

 

③ チヤホヤされるのが好きだった

アンブーリンが残した娘エリザベス1世

エリザベスは母親アン・ブーリンと同じくらい浮気者として有名でした。彼女は宮廷で最もハンサムな男たちに囲まれることを好み、結婚を望むさまざまな外国の王子たちをもてなました

アンブーリンが残した娘エリザベス1世

エリザベスは女性という立場を存分に利用して男性をひざまずかせ、長官のバーグリーを『彼女の魂』 と呼び、彼女の恋人とされていたロバート・ダドリー (レスター伯爵) を『彼女の目』と呼ぶなど、お気に入りの廷臣にはふざけたあだ名をつけ、遊んでいたそうです。しかし正式に結婚することはなく、生涯独身を貫きました。

 

④ 結婚はせずとも、外見にはこだわった

アン・ブーリンの娘エリザベス1世の波乱万丈な人生(1546年頃のエリザベス 作者不明 引用元:Wikipedia)

彼女が女王になると、多くの求婚者があらわれました。彼女が若いうちは『ヨーロッパで最も望ましい花嫁』とされたエリザベスですが、肉体的魅力が薄れ始めるにつれ、彼女はあざとい戦術を使って男性の注意を自分自身に向けさせようとします。

エリザベスは豪華な材料と鮮やかな色の贅沢なガウン、他の女性たちは黒白の服。どんなに魅力的な女性がいてもエリザベスの元へ目がいってしまうようにコントロールすることもあったといいます。

スポンサーリンク

⑤ どの君主よりも、準備に時間がかかった

アン・ブーリンの娘エリザベス1世の波乱万丈な人生(エリザベス1世の肖像画  画像引用元:Wikipedia)

エリザベス1世は、誰よりも準備するのに時間がかかったといいます。エリザベスはいつも自分の容姿にこだわり、年々服を着る儀式は複雑になっていきました。「女王の着替え」に侍女たちは毎日4時間を費やしたそうです。エリザベスはおしゃれのためにもウィッグを欠かしませんでした

アンブーリンが残した娘エリザベス1世

そして化粧は顔だけではなく、首や手など皆にみえるところにまで施しましたセルセという鉛白と酢の混合物を塗って、『外見を綺麗に魅せること』にこだわっていましたただこれは身体にはよくなく、実際のところは皮膚に大きなダメージを与えていたようです。

 

⑥ 独身を貫いたのは、彼女の治世に男性は必要なかったから

アンブーリンが残した娘エリザベス1世 (オランダ大使と面会するエリザベス1世 画像引用元:Wikipedia)

彼女が生涯通じて独身だったことは有名ですが、実際は彼女が即位すると求婚者は絶えず、まわりも彼女の結婚を期待していました。ただ彼女があまりに頑なに結婚を否定するので「結婚しないのには、何らかの秘密の理由があるのでは」といくつものデマが広まりました。

『本当のエリザベスは若い頃に死んでいて、見つけられた唯一の赤毛の子供に取って代わられた。少年であることは不便であったが、生涯を女性の格好で過ごし、その見せかけを続けた』とか。議会は繰り返し結婚することを進めましたが、彼女は常に言葉を濁して答えていたそうです。「わたしがもし選ばなければならないのなら、結婚した女王よりも、独身の乞食女の道を選びます」と。

 

⑦ 男勝りだけど、慈悲深い女王

アン・ブーリンの娘エリザベス1世の波乱万丈な人生(スコットランド女王メアリー 画像引用元:Wikipedia)

スコットランド女王メアリーは、ヘンリー8世の姉マーガレット・テューダーの孫であり、イングランド王位継承権を持っていました。これがまた高飛車で気が強く「庶子である彼女にイングランドを統治する権利などない」とエリザベスを散々非難しては、彼女を憤慨させていました。

メアリー・ステュアート エリザベス1世

2人の女王の生き様は真反対でした。独身を貫き国を安寧に導いたエリザベスに対して、メアリーは恋にうつつを抜かして夫を取っ替え引っ替え、そのなかで殺人事件をくわだて国民の反感を買うのです。行き場を失ったメアリーが逃げ込んだのは、散々ばかにしていたエリザベス1世が統治するイギリス。最終的にはメアリーが、看守たちを誘惑してエリザベス暗殺計画を企てていることを知り処刑するのですが、殺されてもおかしくないところを、エリザベスは「監禁」という形で十数年にわたりメアリーを受け入れたのでした。(参照記事:【処刑台でも女王】魅惑の女性、メアリーステュアート

スポンサーリンク

あとがきにかえて

アンブーリンが残した娘エリザベス1世(ウェストミンスター寺院)

1603年、エリザベスは69歳の生涯を閉じました。彼女の棺は夜間に松明を灯した艀に乗せられて、川を下りホワイトホール宮殿へ運ばれました。葬儀では棺は4頭の馬に曳かれた霊柩車に乗せられて、ウェストミンスター寺院へ移されたといいます。父ヘンリー8世は女癖は悪かったものの、それがなければ色んな才に秀でた人物でした。(参考記事:【6人の妃を娶った英国王ヘンリー8世】の知られざる5つの面)

その血を確かに受け継ぎ、攻撃してくるメアリーなどを受け流し、イングランドを統治した女王様。生涯独身を貫いたのは『結婚』にこだわり処刑された母の姿をみて、色々と思うところがあったからかもしれません。(エリザベス1世の母親については、こちらの記事【処刑された王妃 アンブーリン】とヘンリー8世の秘された物語 にまとめております)

この記事を読んだ人にオススメの記事

スポンサーリンク

この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です