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【カミラ夫人の人柄 】ダイアナ妃を軽く蹴落とした彼女が、なぜ皇太子妃になれたのか

2021/10/19
 
カミラ夫人とチャールズ皇太子
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歴史の中の人物像を徹底的に知りたがる世界史オタク。絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

23歳になる頃にはチャールズ皇太子はカミラ・シャンドに恋をしていたといいます。カミラ夫人は年齢が近く(年上だが実際は16ヶ月)、同じような興味関心をもちまたチャールズの話しよく聞く術を持ち合わせていました。しかし当時の英国王室は彼女をふさわしくない相手だとして、遠ざけようとしたのです。

チャールズ皇太子の抵抗はかなわず2人は他のパートナーと結婚、あのダイアナ妃事故死に繋がる世紀の大スキャンダルを起こすに至りました。しかし一連の不仲騒動と若き元妃の事故死の後も支えとなり、最終的に皇太子妃の座についたのはカミラ夫人でありました。そんな彼女は一体どんな人物なのでしょうか。この記事では、そんなカミラ夫人の人柄をみていきたいとおもいます。

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チャールズ皇太子とカミラ夫人

カミラ夫人とチャールズ皇太子
カミラ夫人は上流階級の出身で、実際に彼女の裕福で人脈のある関係には男爵である祖父も含まれていました。しかしイギリス王室や彼の周りの人々は、王子が最高の貴族の血統を持つ人と結婚することを望んでいました。独身時代は公爵や伯爵の娘と結ばれることが多く、その一人がサラ・スペンサー夫人 (ダイアナ妃の姉) でありました。

マウントバッテン卿とダイアナ姉妹師であり大叔父であり、チャールズ皇太子が慕っていたルイス・マウントバッテン卿は自分の孫娘との結婚を願っており、彼の結婚には多くの人の思惑がつきまとっていました。

 

家系図でみる、カミラ夫人とイギリス王室の由縁

イギリス家系図

カミラ夫人には称号はありませんでしたが、思わぬところに王家とのつながりはありました。彼女の曾祖母アリス・ケッペルは、チャールズの曾祖父エドワード7世の愛人でした。共通の友人であるルシア・サンタ・クルスは2人を紹介するとき、2人とも十分注意してね、遺伝的な繋がりがあるかもしれないわ」と冗談を言ったといいます。しかしそれは王室のイメージが悪くなるとのことで、よりカミラ夫人のイメージを下げるだけでした。

 

カミラ夫人の恋愛経歴に、王室は疑問視

カミラ夫人

カミラ夫人は1965年にアンドリュー・パーカー・ボウルズと付き合っていました。しかしパーカー・ボウルズと一緒でない時、彼女には他のボーイフレンドがいたのです。イギリス王室にとって彼女は「経験豊富な女性」でありました。——そしてその関係は公けに知られていたため、隠すこともできませんでした。チャールズ皇太子の妃候補には、相手がまだ純粋で広範なロマンチックな歴史を持っていないことが暗黙の了解だったのです。

実際、マウントバッテン卿は彼に「純粋な花嫁を見つけることが最優先」だと助言しました。25歳のチャールズ皇太子にあてた手紙にもその旨が記載されていました。未来の国王であるチャールズ皇太子は常にメディアの注目を浴びており、相手の過去の恋愛経歴もメディアの格好の餌食でありました。

 

煮え切らない皇太子と別れて、別の男性と結婚

チャールズ皇太子は表向きは妻探し(後継者を産むことのできる純粋な妃) をしていましたが、実際に結婚する覚悟はできていませんでした。一方他の女性と同じように、結婚して夫と子どもたちと一緒に家を建てることが人生の道だと期待して育ってきたカミラ夫人は大学には行かず就職せずに臨時の仕事に就いていた。

チャールズ皇太子との結婚に陰りがみえると、カミラ夫人はすぐに昔のボーイフレンドと婚約。1973年に結婚して、チャールズ皇太子に壊滅的な打撃を与えました。しかし夫となったパーカー・ボウルズ自身も、彼女がチャールズ皇太子と結婚できなかったために当て馬にされたのではないかとチャールズ皇太子に嫉妬することもあったといいます。

 

条件に当てはまったため、トントン拍子にいったダイアナ妃

ダイアナ妃

こういった周りの出来事は、皇太子の配偶者選びを大きく婉曲させることになりました。ダイアナ・スペンサー嬢と結婚したとき、彼は31歳、彼女は19でありました。。彼女の恋愛遍歴に問題はなかったものの、それは結局のところ王宮に言われた通りの結婚であり、皇太子が心から望んでいるものではありませんでした。また年上であるカミラ夫人の居心地の良さを支えにしていた彼にとって、年下で甘えたがりなダイアナ妃との関係は想像とは大きく違うものでした。

 

二人は80年代半ばに情事を再燃させた

カミラ夫人
カミラ夫人とチャールズ皇太子は、二人とも結婚していた1986年頃に徐々に関係を取り戻し始めました。チャールズ皇太子はダイアナ妃との結婚生活に不満をもち、カミラ夫人の夫も定期的に浮気… 事態は収拾がつかない方向へ進んで行きました。しかしこれはスキャンダルとなり、1993年には、王子とカミラ夫人のものとされる電話の録音記録が公開されました。

このスキャンダルは「カミラゲイト」として知られており、翌年、チャールズ皇太子はテレビのインタビューで不倫を告白しました。1996年までにカミラ夫人も、チャールズ皇太子も離婚。しかし、状況は、「カミラ夫人がまだ王子に適していると見られていない」ことを意味しました。

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2人の離婚とダイアナの死

ダイアナ妃

エリザベス女王は、一時期、カミラ夫人の行動を非難し彼女を「あの意地悪な女」と呼んだという。さらに、チャールズの祖母である皇太后もカミラ夫人を嫌っていました。彼女は義理兄であるエドワード8世を夢中にさせ国王から引き摺り下ろした、ウォリス・シンプソンの影を彼女に見ていたのです。

ダイアナ妃の死後、チャールズ皇太子はカミラ夫人との関係を公けにしました。カミラ夫人は王室の人々に不人気だっただけでなく、国民の人気もありませんでした。多くの人から見れば、ダイアナ妃を惨めな生活に追い込んだ姦婦でしかなかったのです。(ダイアナがこれを皮肉り「ええと、今回の結婚は3人だったので、ちょっと複雑で混んでいましたよね」といったのも有名な話)しかし、チャールズ皇太子はカミラ夫人をもう一度諦める気はありませんでした。

 

公けになったふたりの関係

カミラ夫人

ダイアナの死から二年後の1999年、チャールズ皇太子とカミラ夫人は一緒に人前に出始めました。それから徐々に彼女の株は上がり始め、エリザベス女王とチャールズの息子たちもこの関係を受け入れ始めました。皇太后は反対の姿勢を崩さず、2002年に亡くなりましたそれから3年後、チャールズ皇太子とカミラ夫人は結婚式を挙げました。

「プリンセス・オブ・ウェールズ」 の称号はダイアナ元妃のものとみなされていたため、カミラ夫人は『コーンウォール公爵夫人』と呼ばれています。また、チャールズ皇太子が将来が即位したとき、カミラ夫人は王妃として扱われることが発表されました。しかし、彼女の人気は高まっており、チャールズは彼女を『女王』にしたいと思っているといううわさもあるようです。どの称号がカミラ夫人にふさわしいとみなされるかは、チャールズ皇太子が統治を始めたとき、時がたてばわかることでしょう。

 

あとがきにかえて

カミラ夫人とチャールズ皇太子

ダイアナ妃を死に追いやり、皇太子を操った女性として語られがちなカミラ夫人ですが、本当のところは誰の立場で物事をみるかで見解が変わってくるようです。ダイアナ妃とのそれは周りに祝福される結婚でしたが、お互いが窮屈に感じうまくいくことはありませんでした。

そこにカミラ夫人が噛んでいたのはたしかで、でも「心から支えてくれる人」を皇太子が求めていたのであれば、これは「なるようになった」ということなのかもしれません。イギリスでは世紀をこえたロマンスとして、ふたりを応援する声も年々増えてきているそうです。皇太后が懸念したとおり、2人の関係は、エドワード8世の『王冠をかけた恋』に少し似ています。それでもチャールズ皇太子の原動力がカミラ夫人なら、正式な立場にありながら好きな人と添い遂げることができたのはこの時代ならではの幸せなことだったのかもしれません。

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参考文献

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