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【マリーアントワネットの美母】史上唯一の女帝マリア・テレジア

2019/10/31
 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

マリーアントワネットの母としても有名なリア・テレジアハプスブルク家には優れた当主が何人もいましたが、彼女はひときわ有名な存在でした。ヨーロッパの覇権争いがはげしくなった18世紀、オーストラリアを救った彼女はこんな言葉をのこしています。

「私は最期の日に至るまで、誰よりも慈悲深い女王であり、必ず正義を守る国母でありたい」I’d like to be a queen more merciful than no one and be my national mother who maintains the justice certainly until I come on a day of the end.

この記事では肖像画つきの家系図を使いながら、マリア・テレジアについてご紹介していきたいとおもいます。

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肖像画でわかる、ハプスブルク家系図 (マリア・テレジア誕生後)

(画像:Family Tree of the Habsburg dynastyをもとに著者作成)

マリア・テレジアは、皇帝チャールズ6世と、王妃エリザベスのあいだ長女としてうまれましたしかしチャールズ6世に男児の世継ぎがいなかったため、ハプスブルク家の相続はマリア・テレジアに継承されることになったのです。1736年、マリア・テレジアはフランシスコ1世と結婚します。神聖ローマ帝国の皇帝の座はハプスブルク家が世襲するのが一般的でしたので、マリアは皇帝の位まで受け継ぐことはできず、帝位は彼女の夫フランツ1世が受け継ぎました。

 

肖像画でみる、ハプスブルク家系図 (マリア・テレジアの子孫)

(画像:Family Tree of the Habsburg dynastyをもとに著者作成)

マリアは多産で、なんと16人の子宝に恵まれます。そのうち成人したのは10人、4番目にうまれた長男ヨーゼフがのちにローマ皇帝の座を継ぎ、父フランツが亡くなってからは、マリア・テレジアといっしょに国を統治していたといいます。彼はモーツアルトを宮廷で雇用したことでも知られていますね。モーツアルトはハプスブルク家となにかと近く、幼かったときにマリーアントワネットと仲良く遊んでいて、結婚の約束をしていたなど微笑ましいエピソードも残っています。

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絶世の美女、マリア・テレジアとはいったい何者か

「マリア・テレジア Archduchess Maria Theresa, by Andreas Möller」

マリア・テレジアは、女帝と呼ばれることも多いですが、正式には、オーストリア女大公であり、ハンガリー女王であり、ボヘミア女王といった多くの称号を持つ人物でもありました

「マリア・テレジアと子供達 (左からミミ夫妻、マクシミリアン、マリア・アンナ、マリア・エリーザベト、ヨーゼフ2世)」

結果的に成人した10人はそれぞれフランス王妃、ナポリ女王、シチリア女王、パルマ女王、2人の神聖ローマ皇帝ジョセフ2世、レオポルド2世などこれまた著名な人物ばかり。有名なのは末娘、マリア・アントニア(マリー・アントワネット)。マリア・テレジアは娘をこよなく愛し、マリーアントワネットの輿入れ前には「それがどんなに大変で大切なことか」輿入れ前によくよく娘に話して聞かせたそうです。また彼女は税制、行政の改革、義務教育制度を確立するなど近代化を進め、軍事力の強化、知識・知性の豊かな国民の増加など、国を内側からきたえましたそれも、大きな功績となっています。

 

娘マリー・アントワネットと、マリア・テレジア

(少女時代のアントーニア/マリーアントワネット)

ルイ16世のもとに嫁ぎ、ランス王妃となったマリー・アントワネットフランス革命の波にのまれて、ギロチンで首をはねられたことは有名ですね。フランス王政への不満が爆発しての革命でしたので、マリーは自国にも戻れたのでしょうが、最後は自分はフランス王妃だというプライドを持って運命を受け入れました。その最期の言葉は、死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンの足を踏んでしまった際に発した「お赦しくださいね、ムッシュウ。わざとではありませんのよ(Pardonnez-moi, monsieur. Je ne l’ai pas fait exprès.)」だったとされています。その姿は最後まで宮廷人として、民衆の目に映ったことでしょう。

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まとめ

(マリア・テレジアと家族たち https://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Theresa)

この記事ではハプスブルク家家系図とともに、マリア・テレジアについてご紹介しました夫フランツはあまりよく言われてませんが、じっさい財政管理に長けていて、マリア・テレジアがお金に苦労せず、ヨーロッパ列強を相手にハプスブルク家の領土を守り抜けたのも、彼のおかげだといわれています。

(マリア・テレジアの夫 フランツ1世シュテファン https://en.wikipedia.org/wiki/Francis_I,_Holy_Roman_Emperor)

ただ神聖ローマ帝国の皇帝としてさいしょは政治や戦争に真面目に取り組んでいたものの、次第に関与しなくなったというのも事実のようですそれにしてもオーストリアをヨーロッパ列強から救っただけではなく、16人の子供をもうけ、国を統治し勢力をひろげていったマリア・テレジア。まさに強く、美しく、知的な女性、もしいま彼女が生きていたらどんなことに取り組むのでしょうか。

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参考にさせていただいたサイト

  • http://www.newsdigest.de/newsde/features/8410-300-jahre-maria-theresia/
  • Maria Theresa https://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Theresa
  • Marie Terezie https://ekonom.ihned.cz/c1-65723400-marie-terezie-vladarka-ktera-dala-cechum-kapitalismus
  • Marie Antoinette https://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Antoinette
  • Family Tree of the Habsburg dynasty https://www.open.edu/openlearn/languages/german/family-tree-the-habsburg-dynasty

 

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

Comment

  1. kunihiko mawatari より:

    ハプスブルク家に興味関心を抱き、ツヴァイク著『マリー・アントワネット』で一気にその世界観に造詣を深める様になり、個人単位では無く、ハプスブルク家の歴史そのものが知的好奇心を覚醒せしめた感があります。マリー・アントワネットには良くスポットライトが照らされる中、マリア・テレジアへの焦点も非常に現代に通じる人間模様や真相心理、母娘間のいつの時代も相通じる家族愛と愛情の普遍性等など感動感銘の坩堝ですよね!

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