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【アントワネットの美母】国母と呼ばれた女帝 マリア・テレジア

2020/03/20
 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

マリーアントワネットの母、リア・テレジア。ハプスブルク家は優れた当主を何人も輩出してきた名家ですが、彼女はひときわ目立つ存在でした。ヨーロッパの覇権争いがはげしくなった18世紀、オーストラリアを救った彼女はこんな言葉をのこしています。

【マリーアントワネットの美母】史上唯一の女帝マリア・テレジア 私は最期の日に至るまで、誰よりも慈悲深い女王であり、必ず正義を守る国母でありたい I’d like to be a queen more merciful than no one and be my national mother who maintains the justice certainly until I come on a day of the end.

この記事では家系図を用いながら、マリア・テレジアの人生をご紹介していきたいとおもいます。

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肖像画でみる、ハプスブルク家系図

なぜマリア・テレジアが女帝となったのか

ハプスブルク家 家系図 (マリア・テレジア)

マリア・テレジアは、皇帝チャールズ6世と王妃の間に長女としてうまれましたしかしチャールズ6世に男児の世継ぎがいなかったため、ハプスブルク家はマリア・テレジアが継承することになったのです。

そして1736年、マリア・テレジアはフランシスコ1世と結婚します。ただし神聖ローマ帝国の皇帝の座はハプスブルク家が世襲するのが一般的でしたので、マリアは皇帝の位まで受け継ぐことはできず、神聖ローマ皇帝は彼女の夫フランツ1世が受け継ぎました

 

マリア・テレジアの16人の子供たち

ハプスブルク家 家系図 (マリア・テレジア)

マリアは多産で16人の子宝に恵まれますが、そのうち成人したのは10人でした4番目にうまれた長男ヨーゼフがのちにローマ皇帝の座を継ぎマリア・テレジアといっしょに国を統治しました。彼はモーツアルトを宮廷で雇用したことでも知られていますね。モーツアルトはハプスブルク家となにかと近く、幼かったときにマリーアントワネットと仲良く遊んでいて、結婚の約束をしていたなど微笑ましいエピソードも残っています。 ( 参考記事:【マリー・アントワネットの最後】逝くならフランス王妃のままで)

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絶世の美女、マリア・テレジアとはいったい何者か

【マリーアントワネットの美母】史上唯一の女帝マリア・テレジア「マリア・テレジア Archduchess Maria Theresa, by Andreas Möller」

マリア・テレジアは『女帝』とまとめられることも多いですが、正式には『オーストリア女大公』『ハンガリー女王』『ボヘミア女王』といった多くの称号を持つ人物でもありました。これはハプスブルク家特有の婚姻外交の結果であり、いろんな国の称号をプスブルク家が吸収してきたからです。

 

多くの君主を世に輩出し、国を鍛えた最強の国母

【マリーアントワネットの美母】史上唯一の女帝マリア・テレジア(マリア・テレジアと子供達の肖像画)

結果的に成人した10人はそれぞれフランス王妃、ナポリ女王、シチリア女王、パルマ女王、2人の神聖ローマ皇帝ジョセフ2世、レオポルド2世などこれまた著名な人物ばかり。有名なのは末娘、マリア・アントニア(マリー・アントワネット)ですね。マリア・テレジアは娘をこよなく愛し輿入れ前には「フランス皇太子妃として嫁ぐことの大変さ、身分をわきまえ振舞うことがいかに大切か」をよくよく娘に話して聞かせたそうです。

【マリーアントワネットの美母】史上唯一の女帝マリア・テレジア  (1762年のマリア・テレジア)

また彼女は税制や行政の改革、義務教育制度を確立するなど近代化を進め軍事力の強化、知識・知性の豊かな国民の増加など、国を内側からきたえた人物でもあり、それも大きな功績となっています。

 

娘マリー・アントワネットと、マリア・テレジア

【マリーアントワネットの美母】史上唯一の女帝マリア・テレジア (少女時代のアントーニア/マリーアントワネットの肖像画)

ルイ16世のもとに嫁ぎ、ランス王妃となったマリー・アントワネット最後はフランス革命の波にのまれて、ギロチンで首をはねられたことも有名ですね。王政への不満が爆発しての革命でしたので、マリーは自国にも戻れたのでしょうが、最後はフランス王妃のプライドを持って運命を受け入れました

マリー・アントワネットの最期の言葉は、死刑執行人シャルル = アンリ・サンソンの足を踏んでしまった際に発した「お赦しくださいね、ムッシュウ。わざとではありませんのよ(Pardonnez-moi, monsieur. Je ne l’ai pas fait exprès.)だったとされています。その姿は最後まで宮廷人として、民衆の目に映ったことでしょう。(参考記事:【逝くならフランス王妃のままで】マリーアントワネットの最期の覚悟)

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あとがきにかえて

マリア・テレジアと家族たち(マリア・テレジアと家族たち)

この記事ではハプスブルク家の家系図とともに、マリア・テレジアについてご紹しました。夫フランツはあまりよく言われてませんが、実際は財政管理に長けていて、マリア・テレジアがお金に苦労せず、ヨーロッパ列強を相手にハプスブルク家の領土を守り抜けたのも、彼のおかげだといわれています。

(フランツ1世シュテファン)

ただ神聖ローマ皇帝として最初は政治や戦争に真面目に取り組んでいたものの、次第に関与しなくなっていった…. というのも事実のようです。女帝が優秀すぎたのか、はたまた違う理由か。それにしてもオーストリアをヨーロッパ列強から救っただけではなく、多くの子供をもうけ、国を統治し勢力をひろげていったマリア・テレジア。まさに強く美しくたくましくそして知的な女性、この時代に生きた英雄。もしいま彼女が生きていたらどんなことに取り組むのでしょうか。(彼女の娘の波乱万丈な人生についてはこちら【恐怖の監禁生活 | マリー・アントワネット】の子供はどうなったのかにまとめております)

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参考にさせていただいたサイト

  • http://www.newsdigest.de/newsde/features/8410-300-jahre-maria-theresia/
  • Maria Theresa https://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Theresa
  • Marie Terezie https://ekonom.ihned.cz/c1-65723400-marie-terezie-vladarka-ktera-dala-cechum-kapitalismus
  • Marie Antoinette https://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Antoinette
  • Family Tree of the Habsburg dynasty https://www.open.edu/openlearn/languages/german/family-tree-the-habsburg-dynasty
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

Comment

  1. kunihiko mawatari より:

    ハプスブルク家に興味関心を抱き、ツヴァイク著『マリー・アントワネット』で一気にその世界観に造詣を深める様になり、個人単位では無く、ハプスブルク家の歴史そのものが知的好奇心を覚醒せしめた感があります。マリー・アントワネットには良くスポットライトが照らされる中、マリア・テレジアへの焦点も非常に現代に通じる人間模様や真相心理、母娘間のいつの時代も相通じる家族愛と愛情の普遍性等など感動感銘の坩堝ですよね!

    • Naa より:

      是非読んでみようとおもいます!!
      個人のストーリーも面白いですが、その周りとの関係や背景を読み解くとハマっていくのはとてもよくわかります:)

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