エリザベス1世を知るための7つのこと【黄金時代を築いた女性君主】

イギリス王室

イギリス史上最も有名な君主にして、イングランドに黄金時代を築き『発展の礎』を作り上げたエリザベス1世。ヴァージンクイーンの異名を持つ彼女は、「自分が結婚相手はイングランドです」と宣言し、イギリスにほぼ半世紀の安定をもたらしました。この記事では、女王エリザベス1世をもっと知るための7つのことをご紹介します。

① 女王になるつもりはなかった

エリザベスは今や『最も偉大な君主のひとり』として称賛されていますが、実は王座には遠い位置にありました。こちらがヘンリー8世の定めた、王位継承権です。

エリザベス1世 家系図 (参考記事:【在位9日の女王】ジェーングレイは、何故処刑されたのか)

原則として王位継承は男児とされており、さらに女児にしても彼女だけでなく姉メアリーもいたからです。さらにエリザベスの母アンは姦通罪で処刑されており、『アン・ブーリンとヘンリー8世の結婚は無効』だと宣言されていたために、相続からは完全に外されていました。しかし最後に、継母キャサリンのおかげで、王位継承権が復活したのです。

② 実母より、継母を愛した

ヘンリー8世の最後の王妃となったキャサリンは、当時庶子の身分に落とされていた『メアリー』と『エリザベス』をすぐに宮廷に呼び戻しました彼女らが王位継承権を取り戻せたのは、彼女が王へお願いしたおかげです。

まだ幼少のエリザベスは、初めての母親らしい存在となったキャサリンに特になついた、といいます。彼女を『大好きなお母様』と呼んだ手紙が残っているほどです。子女たちが王族としての深い教養を身に着けられたのも、聡明な王妃が勉学環境に心を砕いた賜物だったのです。

(参考記事:キャサリンパー【ヘンリー8世の子女を育てた 優しく聡明な王妃】)

③ 持て囃されるのが好きだった

エリザベスは母親アン・ブーリンと同じくらい浮気者として有名でした。彼女は宮廷で最もハンサムな男たちに囲まれることを好み、結婚を望むさまざまな外国の王子たちをもてなしました

エリザベスは女性という立場を存分に利用して男性をひざまずかせ、長官のバーグリーを『彼女の魂』 と呼び、彼女の恋人とされていたロバート・ダドリー (レスター伯爵) を『彼女の目』と呼ぶなど、お気に入りの廷臣にはふざけたあだ名をつけ、遊んでいたそうです。しかし正式に結婚することはなく、生涯独身を貫きました。

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④ 結婚せずとも、外見にはこだわった

彼女が女王になると、多くの求婚者があらわれました。彼女が若いうちは『ヨーロッパで最も望ましい花嫁』とされたエリザベスですが、肉体的魅力が薄れ始めるにつれ、彼女はあざとい戦術を使って男性の注意を自分自身に向けさせようとします。

エリザベスは豪華な材料と鮮やかな色の贅沢なガウン、他の女性たちは黒白の服。どんなに魅力的な女性がいてもエリザベスの元へ目がいってしまうようにコントロールすることもあったといいます。

(1546年頃のエリザベス 作者不明 引用元:Wikipedia)

⑤ どの君主より、準備に時間がかかった

エリザベス1世は、誰よりも準備するのに時間がかかったといいます。エリザベスはいつも自分の容姿にこだわり、年々服を着る儀式は複雑になっていきました。「女王の着替え」に侍女たちは毎日4時間を費やしたそうです。エリザベスはおしゃれのためにもウィッグを欠かしませんでした

そして化粧は顔だけではなく、首や手など皆にみえるところにまで施しましたセルセという鉛白と酢の混合物を塗って、『外見を綺麗に魅せること』にこだわっていましたただこれは身体にはよくなく、実際のところは皮膚に大きなダメージを与えていたようです。

(エリザベス1世の肖像画  画像引用元:Wikipedia)

⑥ 結婚をとことん嫌がった

彼女が生涯通じて独身だったことは有名ですが、実際は彼女が即位すると求婚者は絶えず、まわりも彼女の結婚を期待していました。ただ彼女があまりに頑なに結婚を否定するので「結婚しないのには、何らかの秘密の理由があるのでは」といくつものデマが広まりました。

噂の中には、『本当のエリザベスは若い頃に死んでいて、見つけられた唯一の赤毛の子供に取って代わられた。少年であることは不便であったが、生涯を女性の格好で過ごし、その見せかけを続けた』といったものもありました。議会は繰り返し結婚することを進めましたが、彼女は常に言葉を濁して答えていたそうです。わたしがもし選ばなければならないのなら、結婚した女王よりも、独身の乞食女の道を選びます」と。

 (オランダ大使と面会するエリザベス1世 画像引用元:Wikipedia)

⑦ 男勝りだけど、慈悲深い

スコットランド女王メアリーは、ヘンリー8世の姉マーガレット・テューダーの孫であり、イングランド王位継承権を持っていました。これがまた高飛車で気が強く「庶子である彼女にイングランドを統治する権利などない」とエリザベスを散々非難しては、彼女を憤慨させていました。

(スコットランド女王メアリー 画像引用元:Wikipedia)

2人の女王の生き様は真反対でありました。独身を貫き国を安寧に導いたエリザベスに対してメアリーは恋にうつつを抜かして夫を取っ替え引っ替え、そのなかで殺人事件をくわだて国民の反感を買うのです。

行き場を失ったメアリーが逃げ込んだのは、散々ばかにしていたエリザベス1世が統治するイギリスでした。最終的にはメアリーが、看守たちを誘惑してエリザベス暗殺計画を企てていることを知り処刑するのですが、殺されてもおかしくないところを、エリザベスは「監禁」という形で十数年にわたりメアリーを受け入れたのでした。(参照記事:【処刑台でも女王】魅惑の女性、メアリーステュアート

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あとがきにかえて

(エリザベス1世の肖像画 画像引用元:Wikipedia)

1603年、エリザベスは69歳の生涯を閉じました。彼女の棺は夜間に松明を灯した艀に乗せられて、川を下りホワイトホール宮殿へ運ばれました。葬儀では棺は4頭の馬に曳かれた霊柩車に乗せられて、ウェストミンスター寺院へ移されたといいます。父ヘンリー8世は女癖は悪かったものの、それがなければ色んな才に秀でた人物でした。(参考記事:【6人の妃を娶った英国王ヘンリー8世】の知られざる5つの面)

その血を確かに受け継ぎ、攻撃してくるメアリーなどを受け流し、イングランドを統治した女王様。生涯独身を貫いたのは『結婚』にこだわり処刑された母の姿をみて、色々と思うところがあったからかもしれません。

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管理人

歴史オタクの英日翻訳者。

スペインの児童書「ベラスケスと十字の謎 」に魅了され、世界史に夢中に。読み漁った文献は国内外あわせて100書以上。史実をもとに、絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

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