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写真でみるハプスブルク家こだわりの住まい (マリアテレジアスタイル)

2020/05/12
 
ハプスブルク家
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

18世紀から19世紀のオーストリア。ハプスブルク帝国の君主たちが暮らしたウィーン宮廷はいったいどんな感じだったのか。この記事では、マリー・アントワネットの母マリア・テレジアが作り上げた美しい住居の写真をもとに、当時の皇室の暮らしを覗いていきたいとおもいます。

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18世紀以降の住居へのこだわり

華やかさや威厳を保ちつつ、快適さを

長きにわたり、住居において快適さや心地よさといったものは二の次でした。しかし、女帝マリア・テレジアの時代から、インテリアや家具、装飾にも『質素・倹約』が重視されるようになっていきます。19世紀になると、宮廷や貴族に中流階級の間でも快適さが重視されるようになっていきました。ウィーン宮廷においては、長く良い物を使い続けるという意味で、豪華すぎず、ファッショナブルになりすぎず、かといって宮廷の華やかさや威厳を保つものが好まれるようになったのです。

 

ヴェルサイユに比べると、はるかに質素なウィーン宮廷

(ハプスブルク家の宮殿)

当時のフランスではルイ15世が即位しており、ヴェルサイユ宮殿では優雅な生活が営まれていました。豪華な家具に装飾、カーテンに磁器、異国風の輸入品で宮殿は飾られていました。しかしオーストリアにはこの種の出費は支出でしかなくヴェルサイユよりはるかに使える資金が少なかったのです。そんなこんなで住居の規模は縮小され、内装も簡素化されていました。

マリア・テレジアは「必要以上の装飾は必要ない」として、ウィーン宮廷では調度品は美術品ではなく、日常的に使用されるものでありました。病気が流行れば寝具は無料で配られたし、壁のパネルは再利用され様々な皇居を行き来しましたマリア・テレジア時代の家具がほとんど残っていないのは、これが理由だといわれています。他の国からは『美しい兵舎』だと揶揄されたこともありましたが、それがテレジアが国母といわれて由縁かもしれません。

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女帝自ら、建築や芸術の監督にたずさわる

お金はかけすぎず、でも威厳あるものを

マリア・テレジア (家系図)

マリア・テレジアは、家具の購入や修理、他の住居への転用などささいなことまで自分で決めたがったといいます。細部までこだわりをもち、装飾や調度だけでなく、建築家や芸術家を監督したそうです。他国へ嫁いだ子供達の宮廷インテリアにも干渉したほどでしたが、一番重要視していたのは『経済的な視点』です。彼女がなにかを依頼するとき、大切なのは『豪華さではなく、スピードと価格』、合見積をとりいちばん安いものを選びました

ナポリへ嫁いだカロリーナパリへ嫁いだマリー・アントワネットにも「小物、洋服、レースなどの軽薄な買い物は控えなさい。慈善活動は適度に、払える以上のものを与えてはいけませんと手紙を送っていました。(後者のアントワネットはどこ吹く風だったわけですが….  )

 

優雅で気立ての良い、調度と装飾

 

ハプルブルク家

「礼儀を守りつつ、同時にすべての不必要な華やかさを省きましょう」マリア・テレジアは家具も調度品も、オーストリアでつくられた物を好みました。ウィーン宮廷にフランスの家具がないのはこのためだといわれています。以前は金メッキやブロンズの彫刻で家具の外観を美しく保つのが好まれましたが、1823年以降はウィーンはそれを禁止して純粋な家具を求めました

より重くより頑丈に、派手だった装飾をおさえて、より適切で高貴な形に置き換えていったのです。多くの製図技術の知識とより熟練した職人の手が必要となりました。まさに英知の結晶、飾るのは簡単ですが彼女は内面に美しさを求めたのです。

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新しい工芸の発展にも貢献

宮廷の室内装飾は、職人の手に委ねられた

ハプルブルク家

フランツ・ヨーゼフは歴代建築家がデザインしてきた家具を、熟練された職人が作るものとしました。宮廷内の装飾には、家具職人、布はりの職人、彫刻家などの様々な職人がつきました。宮廷は職人の有力な後援者でもあったのです。ヨーゼフは1786年にはフランス製品の輸入を禁じて、自国の工芸品の発展を支援しました。

ビーダーマイヤー様式のインテリア (ビーダーマイヤー様式のインテリア)

19世紀の家具にはビーダーマイヤー様式が反映されました。”余分”な装飾がなく、シンプルさや規則的な形、うつくしさ頑丈さを兼ね備えたこれらの様式は、宮廷からはじまりウィーンの貴族社会だけでなく、中流階級にも躊躇なく取り入れられました。ちなみにフランツ2世の治世には、新しい家具はほとんど購入されなかったそうです。

 

ハプスブルク家特有の、統一感のある家具・装飾

ハプルブルク家

マリア・テレジア以来、ウィーン宮廷では”控えめな”といった原則が優先されていました短期的なファッショナブルなトレンドより、品質が優先されて、過度な贅沢といったものは避けられました。古い家具の隣に新しいものがおかれるときには、バランスがとれるよう古い家具の細部に改良がほどこされました。ハプスブルク家の家具はこうして統一されていき、白と金で塗装されたものに、赤いダマスク織をはった家具は、クラシックで宮廷にもっともふさわしい装飾とされました。

ハプルブルク家

 

赤・白・金を使用したマリア・テレジアスタイルは皇室の装飾のコンセプトとされ、オーストリア共和国となったいまでも、ハプスブルク家から受け継いだ伝統が慎重に取り入れられています。王室が所有していた膨大な家具は、国家の重要レセプションや、その他の公式行事に使用されています

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あとがきにかえて

ハプルブルク家

マリア・テレジアの夫フランツ・ヨーゼフの倹約は伝説的なもので、彼はあたらしいアパルトマンに引っ越したときに部屋に備え付けられていた調度品といっしょに年をとっていったといいます。家具を慎重しなかったのは、「変える必要性を感じなかったから」だとか。小国ロートリゲン (ロレンヌ) から名門ハプスブルク家に嫁いできたフランツ。当時の王族には大変珍しく、マリア・テレジアとは恋愛結婚でありました。

Francis and Maria Theresa

政治的な才はなかったフランツですが、蓄財能力と、起業能力には秀でた人物でありました。素晴らしい金銭感覚で小さな村落を買い取っては地場産業をおこし、莫大な利益を得てさらに周囲を吸収。こうしてフランツは1790年から8年にわたる継承戦争のときには個人資産からぽんと莫大な戦費を用立てたそうです。彼こそが、かの有名なマリー・アントワネットの父ですね。(それにしても父母のこの『倹約さ』がどうしてアントワネットには引き継がれなかったのか…….)

彼らが残した素晴らしい調度品や家具、そして伝統色は現在にも受け継がれています。こうして写真や、絵画をみていくと、『歴史』は確実にいまにつながっているんだなあと感じるのでした。

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参考文献

  • What do the emperor’s apartments look like? What about middle-class households?
  • Domestic style and interior design from the eighteenth century onwards

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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