【ロシアの影に消えた皇女タカラノーヴァ】意味がわかると怖い絵画

皇女タカラノーヴァ意味がわかると怖い芸術

『皇女タカラノーヴァ』は、画家コンスタンティンが伝説に基づいて描いた絵画勝手にロシア皇女を名乗った彼女に当時の女帝エカチェリーナはひどく憤慨し彼女を監禁しました。彼女が閉じ込められた独房は洪水で有名なネヴァ川のちかく。

ネヴァ川

そしてまさにその日、いつ水が満ちて溺れ死ぬかベッドの上で怯え震る、このエレガントな女性は一体何者今日はこの見目麗しき美女の背景について、みていきたいとおもいます。

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皇女タカラノーヴァ

自称ロシア皇女、この美女は一体何者か

皇女タカラノーヴァ (皇女タカラノーヴァ 左上部分)

ヒビのはいった独房の壁に背をつき、上を見上げるうるわしき美女胸元が大きく開いた深紅のビロード彼女こそが皇女を名乗ってロシア女帝に逮捕されたタカラノーヴァです。さて、彼女は何者なのか。彼女がパリに現れたのは洪水の数年前のこと、彼女は自分自身を「エリザヴェータ女帝と、伯爵 (女帝の愛人) の娘」だと名乗りヨーロッパを渡り歩きました。

 

貴人を名乗った詐欺師か、高級娼婦か

贅沢三昧

彼女は自称といえど『ロシア皇女』という身分と、美貌と謎めいた魅力をもちい富裕層の男性から金銀を貢がせたといいます。詐欺師だったのか高級娼婦だったのか、とりあえず派手に動いた彼女。パリにプラハ、ロンドンにベルリンへとうつり歩き、その噂はロシアのエカテリーナ女帝の元へも届きました最終的にエカテリーナの密命を受けた男性の手にかかり、ロシアへ連行されてしまいます。

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怒ったロシア女帝、エカチェリーナ

エカチェリーナ (エカチェリーナ女帝の肖像画)

女王の心のそこにある不安

しかしなぜエカチェリーナはそこまで怒り、いずれ洪水となり沈むであろう独房へ彼女を閉じ込めたのか。そこには彼女の心の奥底にある不安が関係しておりました。自称皇女タカラノーヴァは自らを『元女帝エリザヴェータの娘である』と主張しました。

エリザヴェータとピョートル大帝 (参考【ロマノフ王朝のイケメン変革者】飽くなき探究心 ピョートル大帝)

ということは、それがもし本当ならば、彼女はかの有名なピョートル大帝の孫となるわけです。それで困るのはロシアの血を一切ひかず、政治力と人望で女帝に登りつめたエカチェリーナです。

 

政敵に利用されたら、エカチェリーナの命が危うい

エカチェリーナとピョートル (ロシア)

そもそもエカチェリーナは頭脳明晰な人物で、「田舎の北ドイツで一生を終えるなんていやだ」と野心満々でロシア皇太子の元へ嫁いできました。しかし次期ツァーリとされていた皇太子からは愛されず居心地を悪い思いをした彼女。それでも宮廷内では従順にふるまい、コツコツとロシア人になる努力を怠らなかったといいます。

勉強

そんなロシア人になる努力を重ね、今の地位についたエカチェリーナ。そんなときに、たとえ『自称』であってもピョートル大帝の孫が現れるなんてとんでもない、政敵に利用されたら彼女の今までの努力は水の泡… 

 

逮捕された、自称皇女タカラノーヴァ

皇女タカラノーヴァ

そして皇女タカラノーヴァは、エカチェリーナの息がかかった側近により逮捕され拷問、監禁されたわけですが…。当時のロシア宮廷といえば親子や兄弟であっても命を奪うことさえ厭わなかったので、タカラノーヴァはどんな目にあったのか

この絵を見ると窓から流れ込む水はすでにベットをも飲み込もうとしており、足元にはなんとか這い上がるネズミたちがうろちょろしている。看守たちも逃げてしまい、水が部屋いっぱいに溢れたら彼女はどうなるのか彼女の命もここまでか、上を見上げる彼女の心にあるのは絶望か、この苦しい生活が終わる安堵なのか….

 

伝説を絵にした画家 コンスタンチン

コンスタンティン・フラヴィツキー (コンスタンティン・フラヴィツキーの肖像画)

この絵を描いたのは、画家コンスタンチン・フラヴィツキー。彼は主にこちらの絵画『皇女 タカラノーヴァ』の作者として知られています。悲惨なダンジョンで死に直面しているこの絵は、彼女の無力感と絶望を最も生々しく表現しているといわれています。ちなみに彼が『皇女タカラノーヴァ』に取り組んでいたとき、サンクトペテルブルクの気候で悪化した彼の病はさらに酷くなり。最後は南ヨーロッパで病気を治癒しようと試みましたが、道半ばで亡くなってしまったそうです。

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あとがきにかえて

皇女タカラノーヴァ(Princess Tarakanova (copy of Flavitsky))

「コンスタンチンはロシアの伝説を絵にした」といわれています。ネヴァ川の洪水で亡くなったリストにタカラノーヴァの名前もはいっていたそうですが、実際はすでに「怒れる女王エカテリーナの側近により、すでに殺されていたのでは…」という黒い噂もあったそうです。真実は洪水に流され、すでに歴史の闇のなか。それにしてもこんなに綺麗で優雅な女性が目の前に現れ『皇女』と名乗ったなら、騙されてしまうのも無理はないかもしれませんね….

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参考文献

  • https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_of_Russia

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