EVER UPWARD. WE CAN DO IT.

【ベラスケス最後の肖像画】儚く美しいマルガリータの弟、フェリペ王子

2019/11/28
 
この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

スペインハプスブルク家に仕えた、宮廷画家ディエゴ・ベラスケス彼は「ラスメニーナス」など多くの作品を残して、61歳でこの世を去りました。亡くなる前年に描いたのがわずか2歳でこの世を去った「フェリペ・プロスペロ王子」です。ラスメニーナスの中心に描かれた愛くるしい王女マルガリータの弟であり、最後の皇帝となったカルロス1世の兄でもありました。今日はこの儚く、うつくしい王子についてみていきたいとおもいます。

スポンサーリンク

ラスメニーナスに描かれた少女、マルガリータと弟たち

(ラス・メニーナス ベラスケス 1656年 プラド美術館)

言わずと知れたラス・メニーナスは、ベラスケスの名作中の名作と言われています。真ん中に立つ愛くるしい少女こそ、スペイン・ハプスブルク家最後の王女マルガリータです。繰り返される血族結婚の影響によりフェリペ四世の子供たちは次々と亡くなりました。もうだめかと諦めたとき、奇跡の男児として生まれたのがカルロス2世です。

(引用元:誰でもわかる【肖像画でみるハプスブルク家系図 】)

 

スペインハプスブルク家 最後の王子、カルロス2世

(カルロス2性 カレーニョ・デ・ミランダ 1675年 プラド美術館)

奇跡の子とされたカルロス2世は、のちに呪いをかけられた子と囁かれるようになります。血族結婚の影響により、身体は脆弱で、知能に大きな影響をきたしていたのです。突き出た顎と、分厚い下唇。全く噛み合わない歯、終始よだれをたれしており、教育はままならず、年々精神状態はおかしくなり、会話すら困難だったといいます。(参考記事:【ハプスブルク家と高貴な青い血| 顎と下唇にみえる禁断の歴史】)

スポンサーリンク

スペインハプスブルク家の断絶

カルロス2世の時点で「適切な判断が下せず、スペインとその近隣諸国を適切に支配することができない」ほどに、血族結婚の影響がでていたのですが、それでも後継を残そうと宮廷は奔走しますしかし彼に子供はできず、180年続いたスペインハプスブルク家は、カルロス2世の代で終焉を迎えることになります。

 

高貴な青い血、がまねいた悲劇

(画像引用元:Wikipedia)

自分たちを神に選ばれた特別な人間とし、下々の血で汚されてはならないとして、狭い中で婚姻を繰り返した結果が、カルロス2世の誕だったといいます。彼は自らを「何かに呪われている」と信じ込み、祈祷師を頼っていたそうですがそれはある意味正しく、数代続いた咎を一手に引き受け、呪いを止める役割を担っていたのかもしれません。

スポンサーリンク

肖像画が証明する、儚く美しい王子の存在

(『フェリペ・プロスペロ王子』 1659年 ベラスケス ウィーン美術史美術館所蔵)

そんなカルロス2世の前に、国の期待を背負って生まれてきたひとりの男児がいました。「フェリペ・プロスペロ王子」幼いころのマルガリータに似ていて、とても愛くるしく美しい男の子です。弱々しく椅子に手を乗せた姿が、彼の病弱さを物語っています興味深くこちらを見つめる犬とは違い、王子は遠くを見つめ、いまにも消えてしまいそうな気配をまとっています。

実際に王子は病弱で、なんども発作を起こしては死に瀕していたといいます。しかし唯一の王位継承者だったわけですから、宮廷側はなんとしても生き延びさせようと、国内外の名医だけでなく、祈祷師や占い師、国内外の名医を招集したといいます。王子のウエストに魔除けのお守りがみえるのはそのためです。

 

わずか2年でこの世を去った、フェリペ王子

(Velazquez’s Portrait of Infante Felipe Prospero (1659))

宮廷のあがきは叶わず、フェリペ王子はわずか2歳でこの世を去りました。そのあとすぐにカルロス2世が誕生しますが、王子とこの世で一緒に過ごすことは叶いませんでした。そして肖像画『フェリペ・プロスペロ』が書かれた翌年の1660年、宮廷画家・ベラスケスもこの世を去ったのでした。

スポンサーリンク

宮廷画家 ディエゴ・ベラスケス

(ディエゴ・ベラスケス 自画像)

フェリペ4世 (マルガリータの父) により宮廷画家に起用されたディエゴ・ベラスケスフェリペ4世の娘マリア・テレサとルイ14世の結婚式において城館の装飾責任者をまかされ、1660年に結婚の儀を見届けたのち亡くなりました。画家としてだけではなく、宮廷装飾や、王の側近としても活躍するほど、多忙な日々を極めていましたので、死因は過労だったといわれています。(参考記事:【ラス・メニーナス】ベラスケスの胸に描かれた、赤い十字の謎)

スポンサーリンク

あとがきにかえて

(引用元:Velazquez’s Portrait of Infante Felipe Prospero)

フェリペ4世は政治には疎かったものの、芸術を見る目は確かだったといいます。その功績のひとつが宮廷画家ベラスケスの登用ですベラスケスが残した、中世の宮廷に生きた人々をそのまま絵に封じ込こめたような絵の数々、まるですぐそこにいるかのような絵からは不思議な力を感じませんか。多忙を極めていたベラスケスが書いた最後の肖像画、もしかしたら彼はフェリペ王子がなくなることをわかっていたのかもれません。2019年秋には国立西洋美術館でハプスブルク家のコレクション展が開催されています。ベラスケスの絵画も展示されていますので、興味のある方はぜひ生でご覧になってみてはいかがでしょうか。

ハプスブルク家シリーズの続編はこちら

この記事を読んだ人にオススメの記事

スポンサーリンク

この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です