スペインハプスブルク家の子孫と血脈【近親結婚の果てにうまれた虚弱な子供たち】

巨大王朝ハプスブルク家
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スペインハプスブルクの宮廷画家ベラスケスが亡くなる前年に描いたのがこちら、「フェリペ・プロスペロ王子」です。今にも消えてしまいそうなこの幼児は、わずか3歳でこの世を去りました。

4代目当主のフェリペ4世は、ベラスケスを大変気に入り子供たちの絵を多く描かせたといいます。わずか5代で断絶したスペインハプスブルク家の血統はどこで途絶えたのか。この記事では、スペインハプスブルク家に生まれた子供たちの血脈を追っていきたいとおもいます。

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フェリペ4世の子供たち

断絶したことで知られるスペインハプスブルク家ですが、最後から2番目の当主フェリペ4世には意外にも多くの子供が産まれていました。最初の王妃イザベルとの間には8人、後妻マリアナとの間には5人の子供がいたのです。ただ同家の子供たちは虚弱に生まれ早逝することが多く、無事に成人するのは数人のみでした。

フェリペ4世の子供で、公式にその血脈の行方がわかっているのは、

  • イザベル王妃の子、マリー・テレーズ王女
  • マリアナとの子、マルガリータ王女、カルロス王子
  • 女優のマリア・カルデロンとの子、フアン・ホセ・デ・アウストリア(庶子)

でしょう。ちなみに、その他にも庶子が数人いたとされています。

フェリペ4世はフアン・ホセを唯一王子と認め宮廷に迎え入れますが、王位継承権を与えることはありませんでした。正式な嫡子は殆どが早逝しており、唯一残された男児「カルロス2世」が後継となりますが、子はできず彼の代で同家は断絶するに至りました

フランスへ嫁いだマリー・テレーズ

娘のひとり、マリー・テレーズはフランスにいたルイ14世の元へと嫁ぎました結婚の時フェリペ4世は娘へこう告げたといいます。

もし2つの王国の間で戦争が起こったら、お前はスペイン王女であったことを忘れなければならないよ。そしてフランス王妃であることだけを思い出しなさい

その言葉通り、フランスとスペインはたちまち敵国同士となりマリー・テレーズを苦しめることとなりました。それでもマリーは、血統に基づく王家の権威を忘れることなく、王妃としての役割を全うしたのでした。ルイ14世の好色は広く知られていますが、マリーは信頼を得ており、摂政として国王の代わりを務めた唯一の王妃でもありました。

3男3女が生まれますが、長男を除いて夭逝成人したルイの孫がルイ15世となりますので、マリーの血統はフランスへ受け継がれていくこととなります。

オーストリア皇妃マルガリータ

(ラス・メニーナス ベラスケス 1656年 プラド美術館)

真ん中に立つ愛くるしい少女が、フェリペ2世と後妻の間に生まれたマルガリータ王女です。繰り返される血族結婚の影響もあり、フェリペ四世の子供たちは次々と亡くなっていきました。マルガリータ王女は、そんな中で健康に育った数少ない王女です。

大人になると、マルガリータはオーストリアハプスブルク家にいた叔父レオポルト1世の元へと嫁ぎます。6人の子供を産むも、成人したのは長女のマリア・アントニアのみその全ての子が夭折し、マルガリータ・テレサの血統は絶えることとなりました。

虚弱な王子は3歳で早逝

(『フェリペ・プロスペロ王子』 1659年 ベラスケス ウィーン美術史美術館所蔵)

マルガリータ王女に続き生まれたのが、「フェリペ・プロスペロ王子」幼い頃のマルガリータ王女に似て、とても愛くるしく男の子です。興味深くこちらを見つめる犬と対比するように、王子は遠くを見つめ、今にも消えてしまいそうな気配をまとっています。また、弱々しく椅子に手を乗せた姿が、その病弱さを物語っています

実際に王子は病弱で、何度も発作を起こしては死に瀕していました。宮廷側は何としても生き延びさせようと、国内外の名医だけでなく、祈祷師や占い師、国内外の名医を招集しますが、運命には抗えず、王子は3歳で夭逝してしまいました。宮廷の心配を象徴するかのように、王子のウエストには魔除けのお守りがぶら下げられているのでした。

最後の当主となったカルロス2世

(引用元:誰でもわかる【肖像画でみるハプスブルク家系図 】)

もうだめかと諦めたときに誕生したのが、カルロス2世です。

「奇跡の子」と呼ばれた彼はその奇妙な様から、のちに「呪いをかけられた子」と囁かれるようになります。同家で重ねられてきた血族結婚の影響により、王子の身体は脆弱で、知能にも大きな影響が見られました。突き出た顎と、分厚い下唇。全く噛み合わない歯、終始よだれを垂らしており、教育はままならず年々精神状態はおかしくなり、会話すら困難だったといいます。

カルロス2世の時点で「適切な判断が下せず、スペインとその近隣諸国を適切に支配することができない」ほどに、血族結婚の影響がでていたのですが、それでも後継を残そうと宮廷は奔走します。しかし彼に子供はできず、180年続いたスペインハプスブルク家は、カルロス2世の代で終焉を迎えることになります。

取り立てられた庶子フアン・ホセ

フェリペ4世と女優のマリア・カルデロンの間に誕生した「フアン・ホセ」。フェリペ4世と王妃の子供たちが次々に早逝していった中、庶子である「フアン・ホセ」が健康に成人したのは、サークル外の女優マリアの血が入っていたからでしょうかフェリペ4世は数多くの私生児の中で、フアン・ホセを唯一王子と認め宮廷に迎え入れましたが、王位継承権を与えることはありませんでした

フェリペ4世が亡くなると、遺言によりフアン・ホセは相応の地位を保証されましたが、王母マリアナにより異母弟カルロス2世からは遠ざけられることとなります。時にはカルロス2世の教育に腐心するなど、政情の安定に尽力した存在でもありましたが、マリアナとの間には最後まで確執がありました。フアン・ホセの即位を望む声が高まったこともありましたが、本人は辞退しています。子はおらず50歳で亡くなりましたので、フアン・ホセの血統もここで途絶えています。

まとめ

(引用元:Velazquez’s Portrait of Infante Felipe Prospero)

この記事では、フェリペ4世の血統を継いだ4人の子女

  • マリー・テレーズ
  • マルガリータ王女
  • フェリペ・プロスペロ王子
  • カルロス2世
  • フアン・ホセ (庶子)

をご紹介しました。夭逝したフェリペ王子、またカルロス2世、フアン・ホセにも子供はおらず各々の血統は途絶えることとなりました。また、マルガリータ王女には6人の子供が生まれますが、其々子を残すことはなく途絶えています。

唯一後世へと繋がったのは、フランス国王ルイ14世の元へ嫁いだマリー・テレーズの長男彼 (グランドーファン) 自身は即位することなく49歳で亡くなるのですが、その孫はフランス国王ルイ15世として即位することになります。王家同士の縁談は珍しいことではなく。複雑に混ざり合っています。「スペインハプスブルク家」は断絶しましたが、同家フェリペ4世の血はフランスへ脈々と受け継がれていくことになったのでした。

ハプスブルク家シリーズの続編はこちら

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