EVER UPWARD. WE CAN DO IT.

【ハプスブル家の紋章】中世から現代までをいっきに解説

2019/09/29
 
この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

Googleで「ハプスブルク家 紋章」と検索するとものすごい種類がでてきます。双頭の鷲」がでてきたり、「ライオン」が出てきたり、一体どれなのと思う方もいるかもしれません。この記事ではハプスブルク家の紋章と込められた意味をご紹介したいとおもいます。

スポンサーリンク

Contents

どれがハプスブルク家の紋章なのか

日本語版Wikipediaにある「ハプスブルク家の紋章」

金または黄色の盾にはびこる赤いライオンで、王冠をかぶっています。

 

英語版Wikipediaにある「ハプスブルク家の紋章」

日本語Wikiとは違い最後に金の盾の上に、赤いライオン背中には孔雀の羽のようなものが見えます。ちなみにCoat of armsが紋章という意味です。

 

ハプスブルク家の紋章に共通する物

Google検索で検索した結果がこちら、背景もデザインも色々あるようです。ただ共通するのはやはり、双頭の鷲」「ライオンといったところでしょうか。これらを中心にハプスブルク家が使ってきた紋章をみていきましょう。

スポンサーリンク

 

 

双頭の鷲(そうとうのわし)

(セルジューク朝の紋章(11-12世紀))

双頭の鷲(そうとうのわし、英語名:Double-headed eagle)とは、頭を2つ持つ鷲の紋章です。おもに東ローマ帝国や神聖ローマ帝国と、関連したヨーロッパの国家や貴族などの間で使用されてきました。現在でもセルビア、アルバニア、ドイツ、ロシアなどの国章や、ギリシャ正教会などで使用されています。ちなみに「双頭の鷲」自体は古来より存在する紋章です。一説には、「双頭の鷲」と「単頭のライオン頭の鷲」は、同じものを表していると考えられています。

単頭のライオン頭の鷲とは

(呼称:アンズーAnzū))

メソポタミア神話に登場する怪物で、ライオンの頭を持つワシの姿で表されることがあります。

 

鷲は古代ローマ皇帝の力の証

古代ローマ皇帝は、その力の象徴として鷲(ワシ)を選びました。鷲は「強さ、勇気、遠眼、不死などの象徴」として使われ、空の王者や最高神の使者とも考えられていたからです。神話では、ギリシャ神話ではゼウス、ローマ神話ではユーピテル、ゲルマン部族ではオーディン、ユダヤ教やキリスト教の聖書では神、キリスト教芸術では福音記者ヨハネなどに関連して使われてきました。古くはローマ帝国の国章とされ、ヨーロッパを中心として関連した帝国、王国、貴族、都市、教会などでも取り入れられています。

 

「ローマ」の象徴であり、後継者の象徴でも

 

(1440–1493 : Frederick III of Habsburg (1415 † 1493), crowned in 1452)

ローマ帝国の国章は、その後も帝国の権威の象徴として使われ続けました。

スポンサーリンク

紋章における、ライオンの意味

(Arms of the Counts of Habsburgs. The Habsburgs all but abandoned this for the arms of Austria. It only reappeared in their triarch family arms in 1805.)

ライオンは「百獣の王」であり、勇気・力(権力)・王権の象徴として古代から紋章の図柄によく使われてきました。紋章では主にチャージ(盾に描かれる図)やサポーター(盾を持つ者)に使われています。

 

神聖ローマ帝国の影響を受けたハプスブルク家紋章

ハプスブルク家の紋章(神聖ローマ帝国)

ルドルフ1世がローマ皇帝に推挙されたところから頭角を表し始めたハプスブルク家。安定するまでに150年かかったものの、16世紀から「ローマ皇帝」の座は、ほぼ継続的にハプスブルク王朝のなかで世襲されていきます。ハプスブルク皇帝は「皇帝の双頭のワシ」を紋章に採用、彼らの土地の紋章を示す紋章をつけて、皇帝の称号とハプスブルク家の結びつきを強調するように工夫したそうです。

 

オーストリアとリンクする、ハプスブルク家の紋章

著書 『継承の行 – ヨーロッパの王家の紋章』(Orbis Publishing London、1981)によりますと、オーストリア公国の紋章「青い盾の上に、赤い足を持つ5つの金の鷲」と、ヨーロッパ歴史的伝統であった「赤と白のバー」ハプルブルク家の祖先が使っていた「金色の上に浮かび上がる、青い王冠をかぶった赤いライオン」はしばしばリンクしていたそう。

 

1915年以降のオーストリア、ハンガリー国旗

オーストリア – ハンガリーの皇旗、19世紀後半 – 1915年

オーストリア – ハンガリーの皇旗 1915 – 1918年

オーストリア – ハンガリー帝国規格は1915年に変更されました。双頭の鷲は取り除かれ、非常に単純な紋章だけが残されました。背景色が黄色から赤に変更され、緑が側面の三角形に追加されました。オーストリアが「ハプスブルク法」を通過させ、ハプスブルク家がすべての王朝的な特権を放棄させたのが1919年ですから、政府はできるだけ、ハプスブルクから離れようとしたのかもしれませんね。

スポンサーリンク

ハプスブルク家の当主と紋章

ここではハプスブルク家に関する紋章を当主とともに羅列していきますので、必要な部分だけざっと目を通していただければと思います。

オーストリアのハプスブルク家(ハンガリー王国とボヘミア王国の聖ローマ皇帝、オーストリアの大公)

スペインのチャールズ1世の大紋章、聖ローマ皇帝としてのチャールズ5世(1530-1556).svgアーモアリー・エンペラーFerdinand Ier.svg砲兵皇帝チャールズ4世チャールズ6世の腕、神聖ローマ皇帝 - または盾variant.svg

  • チャールズV、皇帝1519-1556(弟フェルディナンドI、オーストリア、ボヘミアとハンガリーの王の大公の上に法的権限を維持した。フェルディナンドが君主となった1556年、スペインとオーストリアの枝にハプスブルク家を分割SUOの法律上および皇帝。)
  • フェルディナンド1世、皇帝1556–1564
  • マクシミリアンII、皇帝1564〜1576
  • ルドルフ2世、皇帝1576-1612
  • マティアス、皇帝1612–1619
  • フェルディナンド2世、皇帝1619–1637
  • フェルディナンド3世、皇帝1637年 – 1657年(→家系図)
  • レオポルド1世、皇帝1658-1705
  • ヨセフ1世、皇帝1705–1711
  • チャールズ6世、皇帝1711–1740
  • マリアテレジア

ハプスブルク家 – ロレーヌ地方、本線:聖ローマ皇帝、ハンガリー王とボヘミア、オーストリア大公

砲兵皇帝フランソワ・イエル

  • フランシス1世スティーブン、皇帝1745年 – 1765年
  • ヨセフ2世、皇帝1765–1790
  • レオポルド2世、皇帝1790年 – 1792年
  • フランシス2世、皇帝1792-1806

ハプスブルク家 – ロレーヌ、本線:オーストリアの皇帝

ArmoiriesLéopoldIIハプスブールLorraine.svgワッペンハプスブルク=ロスリンゲンSchild.svg

  • フランシス1世、オーストリアの皇帝1804年 – 1835年:旧フランシス2世、神聖ローマ皇帝
  • フェルディナンド1世、オーストリア皇帝1835年 – 1848年
  • フランシス・ジョセフ、オーストリア皇帝1848-1916
  • チャールズ1世、オーストリア皇帝1916-1918

ハプスブルク家 – ロレーヌ:トスカーナの公爵夫人

ArmoiriesLéopoldIIハプスブールLorraine.svgHabsurg-Lorraineの家の紋章(トスカーナライン).svg

  • フランシス・スティーブン 1737年 – 1765年(後のフランシス1世、神聖ローマ皇帝)
  • ピーター・レオポルド 1765年 – 1790年(後のレオポルド2世、神聖ローマ皇帝)
  • フェルディナンド3世 1790年 – 1800年、1814年 – 1824年
  • レオポルド2世 1824年 – 1849年、1849年 – 1859年
  • フェルディナンドIV 1859–1860

ハプスブルク家 – ロレーヌ:トスカーナ線、君主制の後

Habsurg-Lorraineの家の紋章(トスカーナライン).svg

  • フェルディナンドIV 1860–1908
  • トスカーナ王子ジョセフ・フェルディナンド 1908年 – 1942年
  • トスカーナ王子、ピーター・フェルディナンド大佐 1942-1948
  • トスカーナ王子、ゴットフリード大公 1948年 – 1984年
  • トスカーナ王子レオポルド・フランツ大公 1984年 – 1993年
  • Sigismund、トスカーナ大公 1993年 – 現在

ハプスブルク家 – ロレーヌ:モデナライン、君主制後

オーストリアの家の少額の紋章 - Este.svgアーモリーオウトリックエステ1846.svgアーモアリーオーストリエエステ1914.svg
  • フランシス5世(1859年 – 1875年)
  • フランツ・フェルディナント、オーストリア大使館 – エステ&オーストリア王国王国 – ハンガリー(1875-1914)
  • カール、オーストリア – エステ大公(1914-1917)
  • ロバート、オーストリア – エステ大公(1917-196)

 

なぜ多くのハプスブルク家に多くの紋章が存在するのか

(https://fi.wikipedia.org/wiki/Maria_Teresiaより引用)

こちらの写真はオーストリアのマリア・テレジア、ハプスブルク家の相続人、そして皇帝フランシス・イ・スティーブンの妻、オーストリアの大公妃とハンガリーの女王、そしてボヘミア 1740年 – 1780年を統治しました。たくさんの肩書きを持つ彼女は莫大な紋章を持っていたといいます。ブラバント、リンブルフ、フランダース、ルクセンブルクとブルゴーニュ、代によって少しずつ紋章が変わっていたり、ネットで検索するとものすごい量の紋章が出てくるのは、婚姻外交などによる領地拡大の影響かもしれません。

スポンサーリンク

あとがきにかえて


この記事を書くにあたり、海外文献を読み漁ったのですが、調べても調べても核心が見えて来ず頭を悩ませました。だってマトリョーシカのように新しい紋章が出てくるのですから。当主や領地、継承の経緯を見ているうちにひとつの仮説にいきあたったのです。ハプスブルク家は主に婚姻外交で領地を拡大してきた王朝時にドイツ王、スペイン王、そして神聖ローマ皇帝、ブルゴーニュ公といった何重もの肩書きを持つ人物も存在しましたそのため時代によって変わってきたのかもしれないですね。それにしても今回は疲れました。かなり苦労してソースを集めてきたので、この記事がいつか誰かの役に立つことを祈るばかりです。

関連記事

参考にさせていただいたサイト

  • House of Habsburg https://en.wikipedia.org/wiki/House_of_Habsburg
  • Lion (heraldry) https://en.wikipedia.org/wiki/Lion_(heraldry)
  • Eagle (heraldry) https://en.wikipedia.org/wiki/Eagle_(heraldry)
  • Reload this Page Habsburg Coat of Arms and Imperial Standards www.theroyalforums.com/forums/f210/habsburg-coat-of-arms-and-imperial-standards-17981.html
  • Principality of Habsburg https://www.heraldry-wiki.com/heraldrywiki/index.php/Principality_of_Habsburg

スポンサーリンク

この記事を書いている人 - WRITER -
バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です