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【ジャンヌダルクの最後】なぜヒロインは火炙りにされたのか

2020/11/07
 
ジャンヌ・ダルク
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謎の女性。歴史の中の人物像を徹底的に知りたがる世界史オタク。絵画や芸術品の背景にある人間ドラマを炙り出します。

フランスを敵から救い、シャルル7世を戴冠させた女性騎士ジャンヌダルク。フランスのヒロインでありながら、その聖人は異端者、詐欺師、魔術師、男装者と呼ばれた。この記事では、彼女はなぜ火炙りにされなければならなかったのか、ジャンヌ・ダルクの最後について見ていきます。

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ジャンヌ・ダルクにきせられた罪

ジャンヌ・ダルク

イギリス人はジャンヌ・ダルクに対して多くの罪を告発しました。しかし1431年5月30日、フランスのルーアンでジャンヌを火あぶりにしたとき、彼らは19歳の少女を不死化しただけでなく、長年の戦いであった100年戦争の間、彼女をフランスの大義の国民的象徴にしたのです。

フランスの小さな村の農民に生まれた文字の読み方すら知らなかったジャンヌですが、13歳で神の声を聞き聖ミカエルアレクサンドリアの聖カタリナアンティオキアの聖マーガレットをみたと主張しました。彼ら聖人らがジャンヌに託したメッセージは『シャルル6世の相続人シャルル7世がフランスの正当な王に指名されるのを助けること』でした。

 

ジャンヌの功績と付き纏った悪評

ジャンヌ・ダルク

ジャンヌはシャルルに戦いをさせるよう説得して男装したジャンヌはオルレアンの開放を主導。イギリス軍に勝利を収め、まもなくシャルル7世が即位しました。しかしパリ開放の失敗をはじめとして一連の失策が続き1430年5月、ジャンヌはブルゴーニュ公の部下に捕らえられます1年以上投獄された彼女は男装異端魔術神の法に違反した容疑で裁判にかけられました。

歴史家ヘレン・カスターは、『Joan of Arc:A History』という著書の中で、1431年1月9日にジャンヌの裁判がはじまったときは、彼女の悪評はこれ以上ないほど凄まじかったと書いています。実際裁判記録の冒頭にはこう記されています。

裁判この報告はいまでは多くの場所で知られていることです。この女性は、女性である名誉を完全に無視し、謙虚さや女性の良識を忘れています。さらに彼女の先入観はあまりに行き過ぎており、彼女はカトリックの信仰を越えて、またそれに反して、正統信仰の条項に有害な多くのことを言い広めました ‘The report has now become well known in many places that this woman, utterly disregarding what is honourable in the female sex, breaking the bounds of modesty, and forgetting all female decency, has disgracefully put on the clothing of the male sex, a striking and vile monstrosity. And what is more, her presumption went so far that she dared to do, say and disseminate many things beyond and contrary to the Catholic faith and injurious to the articles of its orthodox belief.’

また教会のこんな言葉も残っています。「彼女の罪悪感が確立され彼女が悔い改めないままであった場合教会は彼女を俗人の手に委ねるしかなかないでしょう。そうすれば炎を清めて死ぬよう宣告されるでしょうから」と。

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ジャンヌ・ダルクの裁判

ジャンヌ・ダルク

ダニエル・ホビンスは2005年の著書 「ジャンヌ・ダルクの試み」 の中で、恐らく中世にこれ以上の国際的なセンセーションを巻き起こした出来事はなかっただろうと書いています。ドイツの神学者ヨハネス・ナイダーは 『彼女が演じたそのような不思議さはそれはフランスだけでなくすべてのキリスト教国を驚かせた』と書きました。

ジャンヌ・ダルク

裁判記録によると、ジャンヌは『神の声』の真偽だけでなく、『なぜ男装をしたのか』について繰り返し質問されたといいます。「戦場では男性ばかりですから、女性の服を着るよりも男装をしていた方が見た目も適切です」と彼女は裁判官に答えました。話しました。また涙を流しながら「私が刑務所で女性の服をきているとき、イギリス人は私に悪戯をしてきました。私は自分の慎みを守るために男装をしていたのです」と話しました。

 

ヒロインにきせられた罪

裁判の間ジャンヌは6回の公的、9回の私的聴講に直面し、最終的には男装や神の声を聞いたといった12の罪を認めました。教会関係者は彼女を有罪とし命が惜しくば悔い改めるよう求めました。この裁判自体は教会法に基づいた宗教的な手続きであり、異端審問として行われたものだといいます。ジャンヌがついたのはフランス側彼女の異端審問を推したのはイギリス側です。

letterジャンヌ・ダルクが異端者として裁かれたのは、彼女が女性であったからではなく、その要因が重要な役割を果たしていたからでもなく、また、彼女が声を聞いたからでもなく、イギリスを攻撃するようにと彼女に言う声を聞いたからである。ジャンヌは神がフランス人に好意を寄せていると信じていた。神は彼女の味方だったのだ。…彼女が主張する限り…彼女の声はイギリス人を攻撃するように彼女に言う聖者であった、彼女はそういう運命だったのだ

とホビンズ氏は書いています。また彼はジャンヌの主張も、裁判の動機も政治的なものであり、ジャンヌを詐欺師や悪霊に惑わされた人物として暴露することは、シャルル7世の正当性に打撃を与えるものでした。ちなみにそのシャルル7世も、ジャンヌの釈放交渉に出ることはありませんでした。

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ジャンヌダルク、火刑に処される

ジャンヌ・ダルク

5月24日、ジャンヌは禁固刑に署名し女性の服装を纏い悔い改めるという条件で死刑を免れいったんは終身刑に減刑されました。しかし4日後彼女は男装をして「やはり神の声が聞こえる」と再び主張、27人の裁判員は『彼女は異端者である』として火刑されることがきまったのです。

1431年5月30日、ジャンヌダルクが火刑に処されました下記が彼女を刑に処した教会の主張です。

裁判あなたが誤った啓示と神の幻影を想像していたこと、邪悪な誘惑者であり思い上がっていること、軽率で迷信的であること、偽りの預言者であること、それは神とその聖徒に対する冒涜者であること。聖典の中で神を軽蔑していること、神の律、教義、および教会の布告の違反者であること。あなたが扇動的で、残酷で、非難的で、分裂的で、私たちの信仰から多くの方法で逸脱していること。あなた方は神とその教会に対して軽率に罪を犯しました

 

ジャンヌ・ダルクのその後

ジャンヌ・ダルク

1453年まで百年戦争が続き、ついにフランスはついにイギリスの侵略者を撃退しました。1450年、ジャンヌにきせられた罪はシャルル7世が命じた裁判で覆され、ジャンヌの名誉は回復。ただそれは20年後のことで、真実以上に祭り上げられたともいわれています。

ジャンヌ・ダルクの逸話は伝説にとどまらず、ピウス十世によってパリの有名なノートルダム寺院で祝福され、1920年にはベネディクト15世によって列されました。何百年もたち多少神話化されているとしても、たしかにフランスに勝利をもたらした女性騎士ジャンヌ・ダルク。人間は桁外れの力やエネルギーを持つ人をおそれるのか、処刑した方も「フランスの女神」に罪を着せ命を奪うことで、シャルル7世をはじめとするフランス軍の精気を奪おうとしたのかもしれません。

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参考文献

  • https://www.history.com/news/joan-arc-burned-stake
  • https://fr.wikipedia.org/wiki/Jeanne_d%27Arc
  • ジャンヌ・ダルク 著 上田耕造

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