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誰でもわかる【肖像画でみるハプスブルク家系図 】

2019/09/29
 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

650年以上の長い歴史を持つハプスブルク家。中世ではオーストリア系ハプスブルク家(ロートリンゲン家)、スペイン系ハプスブルク家とふたつに別れました。ちなみに「ベラスケスのラスメニーナス」や、病弱な王が続いたのもスペイン家のほうです。今日はそんな混沌の時代のハプスブルク家系図を、

こんなかんじで肖像画付きでわかりやすく解説していきます。

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(家系図引用禁止:https://hubpages.com/travel/TheCompleteHistoryOfViennaCapitalOfAustriaを元に著者作成)

 

超絶わかりやすい、肖像画つきハプスブルク家系図 (中世編)

 

こちらはスペインハプスブルク家がうまれた時代の家系図です。わかりやすくなるように、色わけしてみました。

家系図の見方

  • 緑色:スペイン ハプスブルク家
  • オレンジ色:オーストリア ハプスブルク家

 

 

 

スペイン ハプスブルク家とは

1580年〜1640年までポルトガル王をかね、海外植民地を含めて「日の沈まぬ帝国」と呼ばれたのはスペインハプスブルク家のほうですね。また、オーストリア・ハプスブルク家との度重なる近親婚のためか、病弱な王が続いたことでも有名です。また宮廷画家ベラスケスを登用し、一家の肖像画・絵画が多く残っていることでも知られています。(こちらの記事参照:【ハプスブルク家】高貴な青い血, 顎にみえる禁断の歴史

 

ハプスブルク家がオーストリアとスペイン家にわかれた経緯

 

はじまりは15~16世紀、フィリップ公 (ハプスブルク家) のもとにフアナ (スペイン王女) が嫁いだことです。オレンジ枠がハプスブルク家、みどりの枠がスペイン王家 (当時はまだ独立した王家だった)です。

 

スペイン皇女(カスティーリャ女王)フアナ

 (1500年 フアンデ・フランデス画)

フアナは、アラゴン王(スペイン東部)と、カスティーリャ女王(スペイン西部)の娘です。15世紀になりようやくカトリック教徒により奪還されたスペイン。アラゴン王(スペイン東部)と、カスティーリャ女王(スペイン西部)が結婚することにより、「スペイン王国」として王と王女で統治をしましょう、という契約が交わされたさなか、二人の間に生まれたのがフアナです。母のカスティーリャ女王の座はフアナへ受け継がれたフアナは、夫フィリップとの間にカール5世を産みます。彼こそがスペインハプスブルク家1代目の当主です。

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なぜハプルブルク家のカール5世が、スペイン王家の当主になれたのか

 

きっかけはハプスブルク家(オーストリア)と、スペイン王家の二重結婚

企みは夫側フィリップの父、マクシミリアン1世によるものです。この結婚は、

  • ハプスブルク家のフィリップにスペイン皇女フアナを嫁がせる
  • スペイン王子ファンの元に、ハプスブルク家の娘にマルガレーテを嫁がせる

という、まるで交換のような二重結婚でした。

 

ギャンブルとも言える、おどろきの結婚条件

そしてこの結婚には「どちらかの家系が断絶した場合は残されたほうが領地を相続するという条件がついていたのです。つまり

  • 皇子になにかあり、世継ぎがいなくなった場合 (どちらかが断絶) は、
  • 生き残ったほうの家がその後をつぐ (乗っ取れる)

というなんともギャンブル的な結婚ですね。

 

結果ギャンブルに勝ったのは、ハプスブルク家

なんとスペイン王子は結婚式の半年後に他界、

  • スペイン子と、マルガレーテ (ハプスブルク家出身の妻) のあいだに子供はおらず、
  • スペイン王家に世継ぎがいなくなったため、約束をしていたとおり、
  • 世継ぎのいるハプスブルク家が、スペイン王の座につく

ことになったのです。ちなみにハプスブルク家の皇子フィリップも突然死しています。ただフィリップはなくなる前に妻フアナとの間に子供がおり、世継ぎがいたのが勝敗の分かれ目でした。こちらは有名な絵画ですね、フアナはフィリップが大好きだったそうで、死を受け入れられず夫の寝棺を担がせスペインを放浪したとか。精神的におかしくなってしまったフアナは29歳にしてトルデシーリャス宮殿に幽閉されました。狂女フアナとも呼ばれる彼女ですが、まさに権力争いのど真ん中で苦しんだとも言える女性です。

 

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あとがきにかえて

この記事ではハプスブルク家の家系図、とくにスペイン家誕生の経緯を中心にまとめてみました。結局スペイン家はわずか5代で断絶してしまうわけですが、それでも資料や絵画がたくさん残っているのは、宮廷画家ベラスケスの登用をふくめ、スペインのハプスブルク家が芸術に長けていたからかもしれません。(断絶についての記事はこちら:ラスメニーナスに描かれた王女、マルガリータ|血族結婚がもたらした悲劇

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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

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