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【ハプスブルク家の末裔】巨大王朝のその後

 
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バンクーバー留学後、現地貿易会社にてインターン。貿易職を5年、世界30カ国以上の取引に携わる。通信会社にて通訳、翻訳に従事。フリーの翻訳やイベンター、司会業など複数の職を持ち英会話スクールのカウンセラーを併任。ダーリンはアメリカ人、ゆるゆる仲良くやっています。

 

650年もの間ヨーロッパに君臨したハプスブルク家支配領地はロシアをのぞき、終焉間近でもヨーロッパでは最大だったとか。1961年にオーストリアの王冠に対するすべての主張を正式に放棄、正式にオーストリア=ハンガリー帝国皇太子として認められた過去のあるオットーは2011年に逝去されました。王朝の支配は終焉しましたがオットーには7人の子供がおり、彼らは今も健在です。この記事ではハプスブルク家のその後と現在についてご紹介します。(2019年執筆)

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現在のハプスブルク家長

カール・ハプルブスク(Karl Habsburg-Lothringen)

英国のTV番組「アフター・ダーク(英語版)」に出演したカール氏(1989年10月21日)

現在の家長は、嫡男のカール・ハプスブルク氏最後のオーストリア皇帝・福者カール1世と皇后ツィタの孫にあたります。本人のウェブサイトによると、オーストリア在住で1996-99年には欧州議会議員を務めテレビの人気ゲームショーを主催するなど話題作りに尽くしました。

 

「オーストラリア大公」「殿下」と呼ばれることも

(https://www.karlvonhabsburg.at/news-detail/europa-die-freiheit-und-die-geopolitik/より引用)

自身では「カール・フォン・ハプスブルク(Karl von Habsburg)」を称しておりますが、ヨーロッパ諸国の王侯貴族やローマ教皇、王党派からは今なお「オーストリア大公」や「殿下」などの伝統的称号・敬称で呼ばれることもあるよう。また本人は表立って主張していないものの、オーストリア、ハンガリー、ボヘミア、クロアチア等の帝位・王位請求者とされています。

 

ハプスブルク家の政治的権力について

(https://www.karlvonhabsburg.at/news-detail/europa-die-freiheit-und-die-geopolitik/より引用)

カール氏の生誕当時、オーストリア共和国はハプスブルク家の入国さえ認めないといった姿勢をとっていました。同年父オットーはオーストリア入国のために、ハプスブルク王朝と絶縁することと、あらゆる支配権を放棄したわけですが、カール大公は、ハプスブルク家がいかなる政治的役職も持つことを禁じた1919年の「ハプスブルク法」を変えるために静かに働きしばしばオーストリア共和国の首相候補として言及されてきたそう。2002年に彼はUNPO(国連人民機構)の長となっています。(参考:Editorial: Karl von Habsburg  https://unpo.org/article/137?id=137)

 

ハプスブルク法と、貴族廃止法のしがらみ

2019年現在、オーストリアでは「大公」「フォン」といった名乗りに至るまで、貴族称号が公的には一切認められていません。したがって、オーストリア共和国の居住者であるハプスブルク家の家族は、名とその姓ハプスブルク=ロスリンゲンを使っているそう。しかしカール氏の場合は、父のオットーが「オットー・フォン・ハプスブルク」として知られていたので、同様に「カール・フォン・ハプスブルク」を称しているとのこと。ただし、他の国に居住する家族は、その国の法律や慣習に従って、その称号を使用することもあるようです。

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現在のハプスブルク家の婚姻事情

(https://www.karlvonhabsburg.at/news-detail/europa-die-freiheit-und-die-geopolitik/より引用)

プライベートでは、1993年にヨーロッパの上流社会でよく知られているフランチェスカ・ティッセン・ボルネミサと結婚して、現在三人の子供がいます。フランツェスカとの結婚は、かつてのハプスブルク一族の家法に従えば貴賤結婚でした。

貴賤結婚とはハプスブルク家の家訓であり、「帝位継承者の妻たる者は、カトリック国の王女ないし自国の場合は最上級の貴族出身でなければならないというもの」です。しかし、父オットーが一族の中で同意を得て1980年代に基準を緩和していたことから、妻子の権利が制限されることはなく、現在は長男のフェルディナント・ズヴォニミルがハプスブルク=ロートリンゲン家の推定相続人となっています。

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カール氏本人が語る、「いまハプスブルク君主国」

(2017年撮影)

カール氏は「皇帝とはなりたくてなるものではないとして、もしハプスブルク君主国が存続していたなら、今日のような自由を得ることはできなかった」と自由を享受できていることに対する喜びを表明しているといいます。一方で、帝位・王位請求者としての直接的な言及は避けているものの、君主制は時代遅れではないとの考えも持っており、将来的にはオーストリアなどにおける政体の変化もありうるという見解をしばしば述べてもいるそうです。また自身が玉座に即くことを意味する帝政復古には消極的である一方で、貴族文化の保護には精力的であることも知られています。

 

他の家族は現在、どうしているのか

ハプスブルク家 20世紀の家系図

こちらがハプスブルク家最後の皇太子、オットーから続く家系図です。つまりカール氏の兄妹ですね。

(Otto von Habsburg 2016)

 

Otto von Habsburg (最後の皇太子/父 オットー 1912-) = Regina von Sachsen-Meinigen (母 レジーナ1925- )

                                ||

Monika (モニカ 1954-) – Michaela (ミシェル 1954-) – Andrea (アンドレア 1955-) – Gabriela (ガブリエラ1956-)

Walburga (ウォルブルガ 1958-) – Karl (現在の家長カール1961-) – Gyorgy (ジョルジー 1964-) 

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ハプスブルク家の子孫はバラバラになるも、みな健在

(https://www.karlvonhabsburg.at/news-detail/europa-die-freiheit-und-die-geopolitik/より引用)

他の兄妹についても、それぞれ結婚をして子供をもうけ、それぞれの地で暮らしているようです。

  • ゲオルク(ジェルジ)は、ハプスブルク家の人々を帝国の別の地域と結びつける伝統に倣い、ハンガリー在住。公爵夫人と結婚して二人の子供に恵まれました。カール氏と同様、ハプスブルク家の名を復活させ、ダイナミックで大衆的な存在となりました。彼はMTM-SBS TVの役員であり、MTM Communicationsのディレクターであり、ハンガリーのためにEEU加盟を求めるロビー活動を行うハンガリーの特別大使となっています。
  • モニカはスペインのバラガー在住
  • モニカの双子の妹ミカエラはフロリダ在住
  • アンドレアはドイツのシュワイガーン在住
  • ガブリエラはクリスチャン・マイスターはドイツ在住
  • ウォルブルガはスウェーデン在住

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あとがきにかえて

徳川の歴史が256年、ロシアのロマノフ王朝が350年。ロマノフ王朝にいたっては、最後一家全員が暗殺されての終焉でした。流れた血や、不都合な事実はあれど、財産剥奪・追放などがあれど、比較的平和的なものだったのかもしれません。近代は写真で見ることができますが、中世は絵画から見えてくるものがたくさんあるので、それもまたハプスブルク家の歴史を紐解く面白さにつながっているのかもしれません。

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参考にした記事

  • HABSBURG FAMILY http://www.antiquesatoz.com/habsburg/habsburg-family.htm
  • End of the Habsburg empire https://www.britannica.com/place/Austria/End-of-the-Habsburg-empire
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