【英国王室の不穏な5つのエピソード】無念を背負ってさまよい続ける亡霊たち

イギリスの歴史

英国王室の威光は今も変わらず王子たちの元には美しい妃が嫁ぎ子供が生まれ、喜びと愛に満ちているように見えますが王室には不穏な歴史が隠されています。今日ご紹介するのは、高貴な人々の首切り、不可解な病気、破局的に失敗した結婚、そして王室に関係する幽霊の逸話です。

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① ウィンザー城に登場する幽霊

ウィンザー城にあらわれる幽霊たち (参考:【アン・ブーリン】処刑された王妃の無念、首なし幽霊の目撃談)

ウィンザー城は、王族の誕生だけでなく、多くの幽霊や亡霊が出没することで知られています。Ghost-Story.co.ukによると、王家の幽霊にはヘンリー8世、アン・ブーリン、エリザベス1世が含まれており、すでに死んでいるためか黒い服や姿で目撃されることが多いそうです。

また高貴な人々だけではなく、狩人のハーンという男、「今日は乗りに行きたくない」と叫ぶ小さな男児、そして王室に死と病気をもたらすといわれている「悪魔の角」といった不気味なものもあらわれ人々の心をざわつかせています。

② ヘンリー8世の仕打ち

ヘンリー8世は好色で知られており、男児を産まぬ妃を手厳しく追放 (ひどくて処刑) したことでも有名です。専門家たちは長い間、なぜヘンリー8世の妻たちがこれほどまでに多くの流産に苦しんだのかについて推測を重ねてきました。王が梅毒にかかったのではないかと推測するものもおり、様々な仮説が立てられています。

妃の流産は、ヘンリーの特殊な血液のせいか

遺伝子

しかし現在、一部の研究者は、ヘンリー8世がケルKell+と呼ばれるまれな血液型を持っていた可能性があると考えられています。

この型をもつ男性がKell-の型をもつ女性を妊娠させた場合、流産のリスクが高くなるというのです。ヘンリー8世の妃となった何人かにみられたように妊娠後期に流産のリスクが高まるのですが、科学者たちが中世に生きたヘンリーの血液を検査することはできないので真実は確かめようがありません。

国王の冷酷で無慈悲な性格は、落馬のせいか

別の興味深い医学理論として、妃たちへのひどい仕打ちはヘンリーにおきた衝撃的な事故で彼が頭部に外傷を負ったためだと考える専門家もいます。歴史家のルーシー・ワーズリーはインディペンデント紙にこう語りました。

1536年の馬上槍試合の事故がヘンリーの人格形成に変化をおこし、結果として『スポーティで有望で寛大な若い王子』から『残酷で妄想的で悪質な暴君』になってしまったと私たちは考えます。

事故後、彼は2時間意識を失いました。 5分間の意識喪失でさえ、今日の大きなトラウマであると考えられています。 […] 脳の前頭葉への損傷は、完全に人格の変化をもたらす可能性があります。

ヘンリー8世の待ち望んだ男児を3人目の妻ジェーン・シーモアとの間に授かるわけですが、彼女は出産後の感染症ですぐに他界。4人目の妻としてアン・オブ・グリーヴスを迎えたわけですが、事前に手にしていた肖像画と似ていない、醜い匂いがするとしてすぐに結婚を無効にするなど残酷な仕打ちは止まりませんでした。

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③ チャールズ1世の頭の行方

チャールズ1世 (肖像画でみるイングランド王)(参考記事:家系図でみるチャールズ1世【イギリスで唯一処刑された国王】)

チャールズ1世はイギリス内戦後に反逆罪で裁判にかけられ、1649年に首を切り落とされました。イギリス王室の中で唯一処刑された国王としても知られています。興味深いのはその切り落とされた『チャールズ1世の頭』が、おそらく奇妙な敬意の印として、彼の体に縫い戻されたとすです。

一部の人はモンマス公のジェームズ・スコットが、遺体が肖像画のポーズをとることができるように頭を縫いつけたという説を唱えています。伝えられるところによると、チャールズ1世の幽霊はグロスターシャーの建物に出没しているそうです。

④ エドワード5世兄弟

塔に閉じ込められた王子たち (参考:【消えた塔の中の王子】誰も知らないエドワード5世兄弟の行方)

こちらの絵画はポール・ドラローシュがが描いた『エドワード5世とリチャード兄弟』。

リチャード3世は王位に就いた後、1483年の夏に前国王の息子エドワード5世とヨーク公リチャードをロンドン塔へと送りました。ロンドン塔に幽閉された後のエドワード5世と弟リチャードの消息は、現在に至るまで判明していません。1483年の夏ごろまではロンドン塔の庭で遊ぶ兄弟の姿が見られたが、次第にその姿を見ることは少なくなり、1484年の春には兄弟は既に殺されたという噂が市内に広く囁かれるようになりました。

閉じ込められた王子の行方

何も知らないこの小さな男の子たちはどうなったのか当時は2人がリチャード3世によって暗殺されたと考えられていました。1674年に2人の子供の骸骨が塔の下に埋葬されているのが発見されましたが、1603年にはまた異なるふたりの子供の骸骨が発見されています。

唯一確かなことは、王子たちは間違いなく塔に幽霊として出没していることです。ブラッディタワーでは、白いネグリジェをきて手を繋いでいる王子たちの姿がよく目撃されています。彼らは息を潜めるように音をたてることなく、静かに過ごしており、王子たちにとってはロンドン塔での監禁がまだ終わっていないということなのかもしれません。

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⑤ 狂気のジョージ3世

狂気のジョージ3世

ジョージ3世はアメリカ独立戦争中に君臨した英国王1810年に『狂気のジョージ3世』と呼ばれるようになりました。ある日、ウィンザーグレートパークをドライブ中、王様は腕を空中にあげ「とめてくれ」と叫びました。彼は降りて樫の木に歩いて行き、その枝の1つで握手をしたのです。

廷臣が国王に気分が悪いのかと尋ねると、ジョージ3世は「邪魔しないでくれ。今プロシアの王様と話しているのだ」と返したといいます。

狂気に取り憑かれ監禁された王様

狂気のジョージ3世

1819年のクリスマス王は狂気の発作に苦しみ、58時間無意味なことを話し続け昏睡状態に陥りました。彼が亡くなったのは翌年1820年の初めのこと。現代の専門家は、ジョージ国王がポルフィリン症にかかったのではないかと考えています。彼の尿の色が変だと医師が言ったことも一因です。

この病気はヒ素中毒によって引き起こされた可能性があり、国王の毛髪から高濃度のヒ素が検出されています。気付かぬうちに毒をもられていたのか….. 『狂気のジョージ3世』と呼ばれた彼は、王立図書館の下にある窓から外を眺めていたそうで、いまでも時々にそこに現れるそうです。

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あとがきにかえて

気に入らなくなった妃を次々と処刑したヘンリー8世、そしてその暴君に無慈悲に斬首された王妃たち。何も知らず塔に閉じ込められ短い一生を終えた幼き王子たち。反乱軍に駆られて、首をはねられた英国王。優しかったはずの国王を狂気に陥れた恐ろしい毒。輝かしい栄光や絶対的権力の裏にはいつも、犠牲になった者がいるのでした。

都合の悪いことはいつだって隠されるもの。歴史書に乗るのは成功者の足跡です。光の裏には絶対に影があらわれるものですが、名声を轟かせた分だけ暗く闇深い歴史も隠されているのかもしれません。

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